●●ちゃぶ台から世界をひっくり返す●●

〜ちゃぶ台アーティストasami〜

わたしを生きる物語〜富英とのパートナーシップ編 その4〜

(2017*12月に書いたもの)

 

前回の

とみひでとのパートナーシップその3からの続き。

 

http://asamusubi.hatenablog.com/entry/2018/03/02/190248

 

 

*

 

*

 

 

目に映るすべてのものがそうだし、目の前にいる相手みんなそうだけれど
パートナーという存在はそれ以上にじぶんじしんというもの、じぶんの本当の望みをこれでもか。って見せてくれるから本当に面白い。

 

 


今回の出来事を通して
じぶんじしんというものが浮き彫りになって
あ〜相手に対して思っていたことはじぶんだった!
こんなちいさなじぶんがいるのか〜。。
痛い!と思いつつかけがえのないギフトになったのも間違いない。

 

 


特にこのことに向き合った
10月半ばからの1ヶ月の気づきを書き溜めたノートはじぶんで見返してもすごいなあ。と思うし1日1年分の気づきを得たんじゃあないか。と思うくらいいつも以上に日々ひび向き合い対話し続けた。


そんな渦中から
こんな想いするなんて、じぶんだけじゃあなくて
みんなのためにもならなきゃあやってられない!と思っていたように
これに触れたあなたにもじぶんじしんと結ぶなにかになったり、パートナーシップを向き合う上でのなにかヒントになったら嬉しいなあ。とおもう。

 

と言っても
このことに対する
じぶんの中の気づきを感じたり、ノートを見返してみると
上手に言葉にできるかのドキドキもありますがここに記してみたい。

 


今回、おおきく感じているのが
すでに約束がそこにあったのでは?という感覚。


今回の出来事を通して
わたしたちが付き合ってから6年半、結婚してから5年。
いや、それも含めお互いがそれぞれに歩んできた人生の中で本当は望んでいたけれど叶えられくていた願いが浮き彫りになった。でも、それはだったらその付き合ってきた年月の中で叶えてあげられたのでは?とか叶えられなかった罪悪感とか相手の「やっぱりじぶんの願いは叶えられないんだ。」という想いを強化付けることに加担してしまったじぶんを責める気持ちとかそんなものは必要なくて、今回いろんなことが明らかになったのはベストタイミングだった。ということ。

この数年を通して、お互いに役割を変えながらそれぞれが*じぶん*に還るために必要な役割をしてきていたこと。
そして、今回の出来事を通してたくさんの忘れ去られたじぶんの願いに気づくことすべてをじぶんたちで計画してきた。としか思えないのである。


わたしは、表面的な出来事だけにフォーカスすると
辛い悲しいなんだ!というばかりなんだけど
*じぶんじしん*に気づくための、じぶんの本来の願いに気づくための愛でしかなかった。

でも、そんな感情と深い愛ある気づきをいったりきたりは必須で
おおきなおおきなじぶんの中の愛に気づいた次の瞬間には泣きわめいていたりして。笑

感情におおきく振れることも、おおきなおおきな愛であることもどちらもじぶんで。
その感情を見つめることで・紐解いてゆくことで本当の望みに・じぶんじしんに気づいてゆける。人間ってほんとうに面白くできているなあ。と思わずにはいられなかった。

 

 

 

まず、このことを明らかにしたときのわたしはじぶんがどうやってじぶんを保っていいのかが全くわからなくなってしまった。こと
それは*じぶんで在る*ということに向き合ってきた数年だったけれど
実はじぶんひとりではじぶんで在ることができていなかったということ。

 


とみひでと遠く離れた場所にいても、じぶんがじぶんで在れる。ひとりでできている。

 

と思っていたけれど実はそれはとみひでの存在に支えられていたということ。

 

 

じぶんひとりまっさらにされたとき
どうしたらよいのか分からないじぶんを見て
ああ、わたしはこんなにもとみひでの存在に支えられていたんだ。

ということに気がついた。

 

それと同時に依存してしまっていたということ、変に癒着してしまっていたじぶんに気がついた。

 

 

 

じぶんを愛することに向き合ってきて
仲間やとみひでの存在を通してすこしずつそれができるようになってきたわたし。

 

 


でも、いちばん近くにいるとみひでの存在がなくなりじぶんでいられないじぶんを目の当たりにしたときに、じぶんだけでじぶんを支えられていないこと・じぶんでじぶんを愛せていないことを突きつけられた。

 

 

 

誰かがわたしを愛してくれるから、認めてくれるから
わたしはわたしを愛し認められていたんだ。

それもたいせつだった。

 


それがあったからわたしはわたしの存在を確かなものにできてきた。

 

 


だけど、わたしの本当の願い…

誰に愛されなくとも認められなくとも
じぶんがじぶんを愛してあげること

他の誰でもないじぶんじしんに愛され認められ、たいせつにされたかったんだ。ということ

 

 

とみひでに対してでてきた

*どうせ、またわたしを捨てるんでしょ*

 

ということば。(とみひでに捨てられたことはない)

 

 

それは、じぶんへのことば。

じぶんからのことば。

 

 

 

元々、人のために人のことをしたい。と

じぶんを犠牲にして人へエネルギーを

長い間費やしてきてしまった、わたし。

 

 

じぶんを愛し満たすことに

エネルギーを注ぎ

じぶんが満たされてきたら

すぐに、外にエネルギーを向けてしまう。

 

 

じぶんが満たされ溢れたものを

周りへ。はいいことなのだけれど、

わたしの場合、長年のくせで

すぐに*わたし*を置き去りにしてしまう。

 

 

わたしを愛するよ。と

決めたものの気がついたら

じぶんがいない!の繰り返し。

 

 

ようやく、

わたしは、わたしに愛される!と

喜んだのも束の間

またすぐに置いていかれる。

捨てられる。

 

 

そんな、じぶんじしんへの

怒りと悲しみが

とみひでへのコトバとして放たれたのだ。

 

 

そして、

とみひでに好きな人ができたというのは

わたしの内側を現実に表したもの。

 

 

わたしが、

じぶんじしんではなく

外側のなにかへまだエネルギーを

注いでしまっていることの現れ。

 

 

わたしが、

わたしじしんとしっかり結び

両想いになれたとき

この現象はどう変わるのだろう。

 

 

そうなったら

じぶんが望む現実になるだろう。という

確信がありつつも

もうとみひでと一緒に生きれないかもしれない。という不安もおそう。

 

 

でも、

これまでもやってきたように

関係をよくするためのなにか。をするのではなく、お互いがじぶんにスナオであった上で共に在れるのか。

 

 

それが、たいせつだった。

 

 

こんな出来事があったときだからこそ

とみひでと共に過ごしたい。

 

 

そんな想いがありながら

ほんとうにやるべきことは明確で

 

じぶんが、じぶんを愛すること

じぶんじしんともう一度おおきく結ばれること

 

 

 

たいせつな場所

だいすきな仲間

 

そこにいることに、カラダも感覚も

どうにもいられなくなってしまい、

じぶんじしんの直感を頼りに

この冬、わたしは花巻でひとり

じぶんと、過ごした

 

 

 

おおきな賭けでもあった

 

 

 

じぶんが、じぶんと

ほんとうに、結ばれたその先の道は

 

たいせつな人はたいせつな場所とは

もう交わらないかもしれない

 

もう、とみひでと共に

歩めないかもしれない

 

 

 

それさえも、引き受ける覚悟と

でも、*じぶん*を生きた先で

必ず、わたしのたいせつないのちたちと

また、出逢えることを信じて

 

 

 

 

しあわせになる覚悟

そんな、タイトルの本があった

 

 

いま、

もういちど

じぶんの中でしあわせになる覚悟を

もひとつ深くしようとおもう

 

 

 

しあわせになっちゃいけない。とおもっていた

 

じぶんだけが、しあわせになっちゃいけないと

 

たいせつな人を差し置いてしあわせになってはいけない。

 

いま、のしあわせを認めてしまったら

過去のすべてを否定してしまうのでは?

たいせつな人が守ろうとしてくれたものは、しあわせではなかった。とバレてしまうのでは?

 

ひとつのしあわせと、もうひとつのしあわせは成立しない。

 

 

そんなじぶんの中にある方程式に気がついた

 

 

そんなことを

ココロの奥深く、感じていたじぶんに

気がついた

 

 

それでも、いい

そして、しあわせはぜんぶ、手にしていい

 

 

叶えていいんだ。とじぶんに許してあげていい

 

 

 

今、わたしは

しあわせになる

 

今、わたしは

すべてを手にすることをじぶんに許す

 

 

 

いま わたしは うまれゆく*きょう わたしは うまれかわる vol.2

*じぶん*と結び ひとつ

すべてに満たされた あの場所

わたしのいのちが すべてのいのちが

放った いのちの願い 

 

 

だけど いつも いつも 

感じるのは 寂しさ 

バラバラになってしまった 寂しさ

 

 

それが よくやく 思い出せた

ひとつの いのちが ほどけて

*わたし*に なったことで うまれた よろこび

 

それは ひとつ だった *わたし*と 出逢えた よろこび


目の前の *あなた*に 出逢えた よろこび


だから 離れたんだね 

また出逢いたかったんだね

 

*

そうして


きょう わたしは うまれかわる

いま わたしは うまれかわる

そう いま わたしは うまれゆく

 

いつも いつも いつも

ほんとうは あたらしい じぶん

 

いつも ちがう じぶん


いつも いつも いつも そう だけど

 

 

いま おおきく おおきく

うまれかわろうと している

 

 

いま おおきく まっさらな じぶんが

うまれゆこうと している


*

あたらしく うまれゆこうと 結ばれようと

訪れた 部屋は 扉を あけた 瞬間から

祝福の鐘が 鳴り響いて いた

 

ああ もう 生まれていたんだ うまれたんだ

ああ もう お祝いされていたんだ

そっか いつだって いつだって 祝福されていたんだ

 


*

目を閉じて 

わたしの 太陽を わたしの 光を 受けとる

じぶんの 中に じぶんじしんと 優しく 

やさしく 結ぶ


そうして 目をひらいて やってきた

この世界 湧いてうまれた よろこびは

 

『*あなた*の いのちと 出逢いたい』


*

*


出逢ってください わたしの いのちと

魅せてください あなたの いのちを

*あなた*の いのちの 美しさを

*あなた*の いのちの 願いを

 

共に 魅せよう

 わたしたちの *いのちの 願いを*


f:id:ASAMUSUBI:20180321134209j:image

いま わたしは うまれゆく*きょう わたしは うまれかわる vol. 1

*じぶんで在ること**じぶんで在り続けること*

 

 

それが
わたしたちがこの、世界にうまれてする
しごとであり、すべてのいのちと繋がり
すべてのいのちのためになること○

 

 

*

 

*

 

 

じぶんの中がまっさら、な今

過去のじぶんにとらわれることなく
過去のじぶんに頼ることなく
今、ここにあるよろこびを感じ
それを生きていきたい

 

 

日々、瞬間しゅんかん
*じぶん*はじぶんではなく
爆発し続けている

 

 

その瞬間の
*じぶん*をとらえ生きゆくこと

 

 

 

*じぶん*を
じぶんの外に、差しだし
破壊され続けそして何度も気づき、創り直してゆくこと

 

 

 

じぶんで在るというのは、
おんなじ、じぶん。で在り続けることではなく
毎瞬、ちがうじぶんを許し受け入れること。
じぶん。とおもっていたものを何度も破壊され何度も気づき、何度もじぶんと結びゆくことなのかもしれない

 

 

 

まっさら、な今

 

 

じぶんの中から、なにが、うみだされるのか
なにが、描きたくなるのか
静かにしずかに感じ尽くす

 

 

*****

 

 

*

 

*

きょう わたしは うまれかわる

いま わたしは うまれかわる

そう いま わたしは うまれゆく

 

いつも いつも いつも

ほんとうは あたらしい じぶん

 

いつも ちがう じぶん


いつも いつも いつも そう だけど

 

 

いま おおきく おおきく

うまれかわろうと している

 

 

いま おおきく まっさらな じぶんが

うまれゆこうと している

 

*

 

 

*

 


f:id:ASAMUSUBI:20180321102211j:image

いのちの、願いと物語の終わりとはじまりー

2011*9*11

被災地に世界中の夢でアートした

IMAGINE ~あなたの夢はなんですか?~

 

 

そのときの

夢たちでつくったその、答えでもあり

ずっと、ずっと人類が問い続けたきたこたえ

 

 

 

わたしたちの、ゆめ

わたしたちの、わたしの願い

わたしたちの、正体

 

 


f:id:ASAMUSUBI:20180318083216j:image

 

 


f:id:ASAMUSUBI:20180318083359j:image

 

 

 

わたしたちは

宇宙に咲き誇るおおきなおおきな花だったー

 

 

 

わたしたちは、ゆめだった

 

わたしたちは、ひとつの、願いだった

 

わたしたちは、おおきなおおきな太陽だった

 

 

 

 

 

いのちが、願いをもち宇宙中へ、放たれた

 

おおきな、おおきな太陽の、大爆発

 

 

 

 

それは、まるで

宇宙に花が咲き誇るような

 

おおきなおおきな、花火がうち上がるような

美しい、うつくしい光景

 

 

 

 

 

あのときの、うまれゆく、よろこびを

 

あのときに、願った、願いを

 

あのときに、あなたと、した約束を

 

 

 

今、こそ

 

 

 

ここに

 

 

 

 

願おう ねがおう ねがおう

 

わたしたちの 願いを

 

いのちの 願いを

 

あなたの いのちの 願いを

 

 

 

 

そう、あの時 願った ゆめが

 

今、ここに

 

 

 

 

いつだって あなたの ゆめの中

 

わたしたちの ゆめの中

 

 

 

今、ここが、 みんなとの約束

 

 

 

そう、

 

どんなトキも どんなトキも どんなトキも

 

 

すべて、願いの中。願いの中なんだー

 

 

*

 

*

 

*

 

 

2011*3*11

ジョン レノンの

IMAGINE を手にしたその日

 

 

わたしじしんの

ひとつの、物語の答えも

共に重なったきのう、3*17

 

 

 

ひとつの、おむすびから

はじまったその旅は

 

 

 

じぶんを、

どこまでも愛することが、試された旅だった

 

 

 

こんなにも、こんなにも、こんなにも

 

じぶんを、愛せないものか、と

 

じぶんの、いのちの美しさを

認められないものか、と

 

 

 

 

だけど、

じぶんが愛しくてじぶんが、

たいせつで大好きになれた今

 

 

その旅の先にあったのは

 

 

 

わたしたちいのちの、正体

おおきなおおきな*結び*というこたえ

 

 

 

たいせつな大切な、仲間

その、仲間へ溢れる愛しさ

 

 

 

 

ひとつの、おむすびからはじまった

物語はわたしの、きっと、ずっと

欲しくてたまらなかったもの運んできてくれた

 

 

 

わたしの、そのとき

*今、ここ*にあったスナオな想いの先に 

あのとき、願った*いのちの願い*があった

 

 

 

 

 

 

ずっと、ずっとこわかった 

 

結びの先を知るのが

 

あの、幸せに満ちた世界に、早く帰りたい。と

 

 

 

いのちの願いを感じるほどに、

こみあげてくる、おおきく深い寂しさ

 

 

 

離れてしまった、目の前の存在へのこわさ

 

 

 

 

 

だけど

 

 

わたしは わたしたちは、

あのとき、確かに願ったんだ   

 

願ってしまったんだ

 

 

 

*じぶん*にうまれゆくことを

 

すべてを愛することを、

この、世界のすべてを受け入れることを

すべての経験を

 

 

 

 

 

*じぶん*になれた、よろこびを

想いだせたきのう

 

 

 

 

 

 

 

それは

ーあなたに、出逢えたこと

 

 

 

たいせつな、あなたに 出逢えたこと

 

たいせつな、たいせつな 

あなたと手が繋げる、こと

 

 

 

ひとつ。だったら 出逢えなかった

 

ひとつ。だったら 愛する歓びを感じられなかった 触れられなかった

 

 

 

 

 

出逢ってくれて、ありがとう

 

 

*あなた*で、いてくれて ありがとう

 

 

 

 

 

 

あなたの

 

あなたの いのちの願いはなんですか?

 

 

 *

 

*

 

 

3*19太陽の塔の扉がひらく日ー

 

7年前、とみひでとふたりで

被災地へ炊きだしへいこう。と

お互いにスナオな想いの一歩を踏み出す

電話をした日だった

 

 

また、あたらしい物語の扉がひらく

 

 

 

 

 

 

 

*今*を生きていれる、幸せ。*じぶん*さえ、いれば幸せ

*今*を生きていれて幸せ。

じぶんさえ、いれば幸せ。

という感覚があるここさいきん。

 


そして
今さえ生きていれば
すべてを生きている感じ

 

でも、その瞬間
今までのように離れていても
おもっていたたいせつな人たちは
じぶんの中にない。感覚にもなっている

 


じぶんさえ、いれば幸せな感覚を感じたら

今まで
*じぶん*を認めてもらいたい欲求で人といたんだなあ。という感じを発見した

 


でも、
じぶんさえ、いればになったら

 

今までの
人といる理由がなくなり
崩れ去りまっさらな感じがしている


ここにどんなものがうまれゆくのか?

 

人といる
理由がなくなり、
さみしさもあるのかもしれない。

 

相手の中にじぶんがいなくても、
相手が幸せであることその人じしんで在ることをじぶんに許していけるようで在りたい。


...が


たぶん、
さみしいんだとおもう。笑

 


じぶんがいなくても
とみひでが幸せそうで
とみひでど在れることが


でも、それが、ほんとう。
だし、望んでいたこと

 


古いじぶんを脱ぎ捨てるときは、
さみしいのかも。

 

*

 

そして
じぶんの存在意義を
他人に依存させない

そんな、
じぶんになれたことを感じて、嬉しい

 

 

その反面

そんなじぶんを感じたら
わたしにとって
人との繋がりは
実は
じぶんの存在意義を見いだすための
手段だったのかも...ということに気づいて
すこし、驚いている

 

 

 

人との繋がりを
心が求めていない、今

 

(むしろ、会うことをイメージすると
うざったく感じてしまうわたしがいるのも事実。笑)

 

 

 


どうやって
人と触れあっていくのか
人にたいして、人と出逢っていくことに対してどんな想いがうまれてゆくのか。

 


こんな想いがどう変化してゆくのか
未知で、楽しみな、今

 


f:id:ASAMUSUBI:20180313083821j:image

 

じぶんを愛し抜く覚悟*愛される勇気  

*じぶんを生きる*と*他人に尽くすじぶん*を結ぶ

 

http://asamusubi.hatenablogcom/entry/2018/01/05/194519

 関連記事

 

 

この冬、よりおおきく
じぶんを愛する。ということに
向き合うために


じぶんの心地のよい場で暮らすことを選択したら、結果的にとみひでや仲間とはしばらく物質的な距離があるようになった

 

 

 

だけど
ひとりでいても、離れていても
一日も、ひとりひとりのことを
みんなのことを想わない日はなくって
もう、じぶんは自然に*みんな*を想ってしまうタチなんだ。と諦めた。

 

 

 

そうして
離れながらも
今、じぶんのできる形で
想いをカタチに変えて
みんなへの想いを放っていて
おおきく、おおきく受け取ってもらえた
感覚を味わったときに

*わたし、もうみんなのこと愛していいんだ。*


そんな想いが、溢れてきた

 

 


f:id:ASAMUSUBI:20180306152943j:image

 

 

ちょっと、びっくりした


気づいていなかったけれど
みんなを、愛することが、こわかったんだ。

 

 

 


↑のブログにも書いたけれど
わたしの長年の愛し方は
じぶんを置いて人を愛そうとする愛し方

 

 


じぶんを愛しゆくと
自然とみんなへの愛が溢れてきて
それを放とうとするのだけど
どこか、ブレーキがかかっている感覚があった

 

 

 

それは
わたしの中の*わたし*は
また、今までのように

みんなを愛することで
じぶんを置いていかれる!と危機感をもっていたからなのだとおもう

 

 

 

とみひでとの関係の中で


また、わたしを置いていくんでしょ!や

他の人しか愛されず、じぶんの存在が消されるのがこわい。

 

そんな言葉や想いが溢れることが
あって(とみひでに置いていかれたり、捨てられそうになったことはない。)

 

なんなんだろう?とおもっていたけど、
これは*わたし*のわたしへの声だ。

 


*また、
わたしを置いて誰かを愛するんでしょ!**

 

きっと、
今回の生だけではない
積み重ねてきたたくさんの生の中で
わたしのいのちに刻まれた、きおく。

 


とみひでに、
どうやったって愛されている安心感がほしい


それは、
じぶんにどうやったって愛されている安心感


*

 


どれだけも、
じぶんより他人を愛してきたことへの
怒りと寂しさが涙と共に溢れてきた。


また、わたしを置いていくんでしょ!
また、誰か他の人を愛するでしょ!
わたしの存在はいらないんでしょ!


*わたし*のわたしへの声だった


ベットリとわたしのココロに
貼りついてしまっていたスネ子。

 

寄り添い
声をかけていたら

 


世界一じぶんを愛するわたし、と
世界一じぶんから愛されるわたし、が
相思相愛になった。そんな気がしたきょう

 

ようやく、
愛を放つ。その準備ができた気がした

 

 

 


*

*

*

 

 

 

さいきんは
じぶんへの愛が満たされて
そうするとやっぱり世界は変わってきて


とみひでに
純粋に愛されている感覚を
受け取ることがおおくなった

 

 
f:id:ASAMUSUBI:20180306184544j:image


 

けれど、
今までとちがう
反応にびびるわたし。笑

 


f:id:ASAMUSUBI:20180306153105j:image


愛されることを求めていたくせに
いざ、愛されるとびびる、わたし。

 


そして
それをただただ
感じていればいいものを

いろんな話をほっくり返して
やっぱりじぶんは愛されていない。
わーん(/≧◇≦\)に結びつけようとする。

 

それはきっと、
愛されてしまったら
もう、進むしかないから
じぶんを発揮していくしかないから
被害者ぶれないから
人といのちの交流をしなくちゃいけなくなるから

 

だから
問題をつくりだして
それに向き合うことで
逃げたいた

 


それは
わたしからすると
*じぶんと結ぶ*、
じぶんに気づきゆく行為で

わたしにとっていちばんに
楽しいことであり
日々それしかしてない!といっても
過言なくらい自信をもって
じぶんに気づき続けてきた。


なのに、
ちまちまじぶんと結ぶことが 
さいきんになっては逃げになってしまっていたことに気がついて衝撃だった

(これまでの*じぶんと結ぶ*すべてを否定してるのではなく、あるところを満たさいきんは逃げになっていた)

 

もしかしたら*じぶんと結ぶ*は卒業なのかも?とうすうす感じていたことだったが
いよいよ、そうなんだということがわかった。

 

でも
じぶんと結ぶは
じぶんそのもののようだし
それしかしてない。ってくらいだから
じゃあ、わたし、なにをしたらいいの?と
手放すのがこわくてこわくてたまらなかった

 

 

けれど
今、描こうとしている
物語のビジョンを仲間から聞いたとき、
そうなんだ。と分かってしまった。


そのビジョンは
わたしが求めていた
あらたなる*結び*だったから

 


それを描き、
放つことでしかないー


ちいさな、*じぶんと結ぶ*は卒業して
おおきなおおきないのち本来の姿、*結び*を


そして
受け取るしかないんだ、すべてからの愛を

 

 

 

*

*


じぶんを愛し抜くことは
とても、とてもこわい


それは
大切な人と共に
生きれなくなってしまうかもしれないから。

傷つけるかもしれないから。
冷たい人間だと、おもわれるかもしれないから。


でも
わたしのいのちも、目の前に存在するいのちもそんなに弱くはない

いのちは、つよい

 


そして、
ほんとうは知っている

じぶんを愛した先でしか
じぶんを生きた先でしか

ほんとうに人を愛することが
ほんとうに人と繋がることができないから

 

人を想うこと
たいせつにすること、世話を焼くこと
それはとてもすばらしい行為だけど


そうすることで
じぶんを愛することから逃げてない?
じぶんと向き合うことから逃げてない?


しっかりと、
じぶんを通してからの
相手への愛は想いは、もっともっと強い


わたしは、あなたは
もっともっとおおきい偉大な存在だ

 

 


そして
愛を受け取らないことで
かわいそうなじぶんに浸って 
じぶんを発揮することから逃げてない?

 

もう、待ってるよ
世界はあなたの存在を


*

*

*

じぶんを愛し抜く覚悟
すべてから、愛される勇気


今、ここに静かに結ぶ○
   


今、ここから
また、はじまる