●●ちゃぶ台から世界をひっくり返す●●

〜ちゃぶ台アーティストasami〜

**2017年ありがとう*その1

改めて2017年を振り返って

(今までももちろんそうだけれど)
特にみんなに生かされた1年だったなあ。と感謝でいっぱい。

 

 

今年は88の結びの旅をさせてもらい
振り返りながらふと思ったのが

 


今年、じぶんのやることや作ったものに対して値段をつけたことってなかったということ(提案いただいたものや誰かと一緒のときにはあったけれど)それでも、じぶんが今年受け取りたい。と決めた額を受け取れていることに改めて驚きと感謝が溢れた。

 

 

 

そもそも、どうして値段をつけずにいたかというと、わたしはまずじぶんが生きていることすべてが遊びであり、仕事であり遊びだと思っている。(最後は遊び。♪)

 

 

 

だったら、生きていながら日々瞬間しゅんかんじぶんがじぶんで在り続けることが
すべてに対して放ち与えているんだとしたら
すべてから受け取れるのではないか?

 

 

目の前の人とモノや行為をお金と交換するのではなく、じぶんの存在そのもの.じぶんで在り続けることが仕事となりこの宇宙ぜーんぶつかって大きく循環できるのでは?

 

 

そんな実験をやってみたくなって。

 

 

最初に書いた通り実験は成功♪
当初描いていた88というエネルギーをいろいろなかたちで二回受け取った。

 

(そのかたちを変える切り替わり時期は(今も)大変な状況になるときは何度もあって
じぶんで在り続けることが仕事なのだから
じぶんで在り続ける変化やじぶんのエネルギーの滞りをクリアにすることでお金も流れていった)

 

 

 

じぶんで在ることでいただくお金を
結料(むすびりょう)と名付けていて今も有り難いことにみなさんからそれを受け取らせていただいています*他にもおむすびグッズやお野菜、お米etc..そしてみんなからの愛。。

 

 


ほんとうにたくさんたくさん受け取らせてもらった今年。最大のありがとう!をみんなに♡

 

 

そんなことを根底に流しながらも
あたらしい流れも感じていて
2018年からあらたな試みもはじめます○

 

 

12*22冬至の日にこれまで以上にみんなが、ひとりひとりがじぶんに還りゆく*結びの魔法*を世界に放つアクションをしていくことを*星のゆめむすび*としてスタート。(アトリエはほしとゆめ)

 

 

夏至までのビジョンや
ひとつひとつのイメージが具体的にみえてきたこの数日。とっっってもわくわくしています♪

 

この夏至でのビジョンをキッカケに
もうひとりではとてもとてもできない!
これはチームおむすび..おむすび球団を発足せねば!と球団もついに立ち上がりました。笑


(監督はもちろんあのお方♡)

陸上部だったからなのか、
一気にギアをいれて走り去ろうとしてしまうクセがあるので笑

 

 


焦らずじっくりとでも軽やかにひとつひとつ結びの魔法をカタチにしてゆきます○

 


どうぞまた来年も見守り、応援、そして共に在っていただけたら嬉しいです☀

 

 

 

2018年はじまりの結びの魔法は
1*2満月にお知らせいたします♡

いつもありがとう*

 

 


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わたしが わたしを生きて 生きてゆく

わたしが わたしを生きて、生きてゆく

 
 このちいさなアパートで

日々、丁寧に暮らし 愛し たいせつに生きること

 

日々、じぶんに気づき じぶんと結びゆくこと


日々、いのちを描き 物語を描き綴りゆくこと

 

それは
日々、*じぶんで在る*という...じぶんと結ぶというちいさな祭りをしている。ということ

 

*表現*は*じぶんで在る*ことのひとつの側面に過ぎなくて

何をするか。が大事なのではなく
ひたすらにじぶんで在るのと、結び続けることで生きてゆくこと

 

 

ずっと、そう願い生きてきたけれど。生かされてきたけれど

今、じぶんの中にある*じぶんで在る*というこれまでとは違う、新たなる感覚で生きてゆけるのか。..どう、世界に生かされてゆくのか。


新たなる決意と共に今、はじめる

 

*****

 

 

 

じぶんにはなまる。

きのう、
ある方のブログを読んで
今年で捨てたいもの、じぶんの中で手放したいことはなにか?という問いがあり
じぶんの中で感じたときにでてきたもの

 

ブログ
加藤由迦さんアソビウム
https://ameblo.jp/kolob/

(ご自身の体験を通してのことばが
とってもパワフルですきです♡)

 


その中の3つめの質問に対する答えのひとつ

 

それは
『お金が支払えない。
期日に間に合わないんじゃあないか。と思ってしまうこと』

 

 

 

▼いくつかの側面から深めてみると..


視点①

ーどうして支払えないのか?


支払うという行為は

じぶんじしんからエネルギーを与える、出すという行為


実は世界に対して
*与えられていない。*じぶんがいるのではないか?ということに気がついた

つまり、
出し惜しみしているじぶんがいるということ

 

じぶんが世界に放ちたい。とおもっているもの。それが怖くてできていなかった。
だから、じぶんは与えられない。とおもっている

 


じぶんの放ちたいもの


それは、じぶんの生き方、生き様をもっと放つ(発信)こと


ーどうしてそれができないのか?

 

受け取られないことのこわさ

じぶんで在ることが
役に立っていない。ということを知るのがこわい

 


でも
それは
すでにじぶんがじぶんに価値があると思えてたら🆗。周りの評価は気にならないはずである

 

ということは
じぶんの存在そのものを認められていない
じぶんがいるということ

 


視点②

 

支払えない

期日に間に合わないことがこわい
というのは


*間に合わない*、*足りないかも*という想いがある


その想いをじぶんの中に探すと


じぶんの愛は誰かへの想いは
足りないかも、伝わらない、分からないのかもしれないと実は思っている


小さな頃から
母や家族を思ってきたのに
それが伝わっていなかった。と
こんなに想ってきたのに。と衝撃的で悲しくなる言葉を数年前に言われた出来事があった

 

こんなに想っていても
じぶんでは現してきたつもりでも
伝わっていなかった

 

なにかをすることを通して=行動の愛でなく..
なにかをしたから認められるのではなく..


ほんとうは
じぶんで在るだけで=存在としての愛。
じぶんで在ることがみんなの、すべてのためになっている。ということを知りたかった


=存在そのものに💮をしたい


じぶんの存在を認めたかった

 


他に
いくつかの視点から見てもでてきた
じぶんに対して
じぶんに価値があると思えていない想い


でもほんとうは
なにかをすることではなく
じぶんで在るということだけで

すべてのためになることを望んでいると共に、じぶんじしんにじぶんのことを認めてもらいたという願いを見つけた

 

じぶんがじぶんで在ることで生きていく。
ということに対してとてつもない想いがあると今年特に感じていたのだけど

それは何もしないじぶんでも、じぶんを認めてほしい。という強烈な願いだった


なにかをしたから。ではなく
ただ、存在そのものが愛でありたいせつであるということ。
それを誰よりじぶんじしんに感じてほしいという願い

 

 

今、それに
向き合っている真っ最中なわけだけれども、なにかじぶんの中でこれまで問題として感じること、現実に浮き上がってくることを辿っていった先に見えるのはその想いばかりで面白くて笑った


わたしはわたしをどれだけ
たいせつにできていなかったのか。という驚愕な事実と、認められることを強烈に願っているわたし


目に見える
問題と感じること、現実は
じぶんの中にある願いを、声を届けてくれるギフト

 


そこに囚われるのも
もちろん人間だからこその面白さだけど
そこを辿った先にたどり着いた
ちいさな声に気がつけたとき
わたしたちはもっとじぶんに、愛に還ってゆける

 

愛に還りゆくことー

 

それをしに
わたしたちは生まれてきた

だから、目の前の相手を通して.世界を通してじぶんに気づきゆくことへの好奇心と面白さは止まらない

 


日々ひび、
じぶんじしんに気づいていくことの
歓びと面白さ、感謝を感じながら
ひとりひとりが*じぶん*になった先で 
はじめてほんとうに繋がれる手と手


そんな世界になったときに
見える景色はどんなだろう

 

わたしは、わたしを生きてゆく

 


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姪っこのすこし前の誕生日

 

彼女を見ているとほんとうに

存在そのものが愛しく、いてくれるだけで生きてくれているだけで歓びであり生まれてきてくれたこと生きてくれていることへの感謝が溢れてくる

 

 

わたしたちは

*わたし*で在るだけでいい

 

*あなた*で在るだけでいい

 

 

挑戦モード▶楽チンモードへ♪

さいきんの気づき*


わたしは
2011年にバシャールの存在を知って
これだ!と感じ
じぶんがわくわくすることで
生きる生き方をする!と実践してきたのだけと...*

 

最初の頃は
そのときそのとき
わくわくすることをしながら
でも、ほんとうにやりたいことじゃあない。や誰かのやりたいことのお手伝いだった。と気がつき、やっては違うやってはちがう。と次々に現れるわくわくをしていく

 


そうして
たどり着いたのは
かんたんにいうと
*おむすび*と*ちゃぶ台だったのだけど
わたし、何度も書いているけれど
みんなで食卓を囲むことって
ずっと怖かったし嫌なこと。だったんだよね


でも、
奥底ではこれをやるんだ。
ほんとうはやりたいんだ。って分かる


でも、
表だってわくわくはしない

 

他に、
昔は大好きだった歌うということが
すごく怖くなってしまっていたり

ほんとうは
人と奥底で繋がりたいのに
人が怖かったり

 

ほんとうにしたいこと.願ってることは
ほんとうに。だからこそ、
**怖い*嫌だ**という感覚のものがほとんどだった

(世界や人を基本的に怖いものだ。という視点で人生の多くを生きてしまってきたからというのもある)

 

それを分かっているから

だから
なんで、こんなに怖いことばっかりしなくちゃいけないのー!

と言いつつ
それに取り組むべきだとおもって取り組んできた
(いい意味の*べき*だとおもっている)

 

だから、
わくわくを生きればいい。というけれど
わくわくだけでもないよな。というおもいもすごくあって
わくわくを生きる。と決めてからの6年の後半は*わくわく*という言葉もあまりしっくりこなくなっていた


(そんな想いが根底にあり、
せんじつ書いたパートナーシップの記事で
歌うことの次に怖いことってなんだろう?と感じ=とみひでと別れることがでてきた)

 


そうして
さいきんもやりたいけど怖いこと。
というのがあって

それが、ある人へ会って話をする。ということだったんだけど。


会ったこともなく
いつもSNS で一方的に見ているだけの方で..

すごーく怖いけど
会う。とじぶんの中は言ってるんだよね。

 

そうしてもうひとつ
今、花巻に住んで絵本づくりと星の絵を描くということをする。というのがあって
こないだ花巻で物件を見て、ここ!と感じるところがあった。
でもお金なんてどうにも。ないのに
勢いで申込みしたものの払えるのかわたし。こわい。という状況をつくる。笑

 

そのやりたいけど、怖いこと。
を抱え1週間ほど。

 


花巻へいって
やりたいことのはじまりに。と
花巻へいかなくても今できること。やりたいこと。
まずはじぶんの物語を文章で書いて振り返ること。というのがほとんど進んでいなかった

 


そうこうしながら
ようやく例の会いたい方へ
勇気をだして連絡をいれてみる。


今すぐに会ってもいい。となる覚悟と準備をもって。


そんな気持ちもあって
最初はそわそわしていたけれど
今、やりたいことを楽しもう。と
ごはんづくりをはじめたら


何だかとっても
身軽になり楽しくなってくる

 

怖かったものが
めちゃくちゃじぶんにとって
負担になっていたことに気づく

 

おや...?

 


怖いことしなくちゃ。とおもってきたけど

もしかして
怖いこと。手放していいんじゃあない?
....。

 

 

ほんとうはじぶんの物語を書きたい。
今、やりたい。と感じることをやることからすべてはじまっていくのでは?というおもい
でも、書けない!これはどうなんだ?!と
うすうすおもっていたのだけど

 

え、手放していいんだ!
えーいいんだ!手放してみよう!と
ポイっとじぶんの中でしてみたら
なんだか楽しくなってきて
自然に物語を書くことにも向かってきた

 

たのしい、たのしい楽しい。


なにをしてるわけでもないのに
楽しくって幸せだなあ。という想いが溢れてきた。

 

もしかして
こんなに楽チンでいい?のかも...


とどきどき。


すこし前から
*委ねる*というのが今のわたしに
たいせつなキーワードな気がしていたのだけど

 

 

わたしは今まで
怖いことに取り組むこと。がたいせつだった

なんでか考えると
*挑戦*したかったから

わたしはじぶんにストイックなところがあって、大変な状況をじぶんに強いてそれを通して気づきを得ることを自覚している
(それを、さいきんはドMといわれる。。)

 

でも、
ほんとうは楽チンでもいいのかもしれない!

 

挑戦モード
 ⬇
楽チンモードに

切り替えていいんだあ!

 

まず、そこにびっくり!なのと

じぶんではある意味わくわくを生きる。と決めてからはそれまでやりたくなかったことを手放してその生き方をはじめていたから
怖いことやってる!といいつつも楽チンモードのつもりだったのである


え、怖いこと辞めていいの?!と同時に

まだ楽チンモードにいなかったんだ!という驚き。笑

 

 

わー!✨
切り替えていいんだ
切り替えよう切り替えよう♪と
わくわくで切り替える。

 


ということは
わくわくをしたらすべて回る♪
お金も回る♪とおもって生きてきてたけど
わたしのわくわく=怖いこと。だから

 


怖いことしなくちゃお金ははいらない。とおもってた。ということだよね?


...確かに
今年お金はみなみなさまから
いただいたお金で生きさせてもらっていてそれを*ちょうだい*ということ*わたしはこの生き方で生きていきたいんです!だからお金ください!*というのはめちゃくちゃ怖いことだった。

めちゃくちゃ怖いことだから
やろう。とおもった

 


そうして感じてみる

ほんとうは
どうやってもらえたらいい?

 

88の食卓が終わって
今でも、
相手が感じたときに溢れたときに
結料としてお金をいただくことは有り難いことにあってそれでわたしは生かされている(ありがとうござあます)そんな風に楽チンというと変だけど、じぶんの在り方に生き方になにかを感じた人が自然に溢れるように渡してくれて受け取るのがいいなあ。

というのがでてきた答え。

 


どっかで発信しなくちゃ。とか
怖いことしなくちゃとか。
おもってたんだ。


わくわくで
受け取っていいんだなあ

 

そしてやってると思ってたのに
やってなかったことが衝撃的すぎる。

 

 


わたしの今の
わくわくなんだろ?と
感じてみたら


以下、とみひでに送ったメールより

 

 

***


きのうほど
わくわく炸裂!ではないけど

◎ひとりのじかんを楽しむ
◎美味しいごはんをつくって好きなじかんに美味しく喜んで食べる

◎ピンときた本を読んで
受け取る=誰かの物語はこうやって誰かのために気づきになるんだと知る

(=じぶんの物語を放つことは誰かのためになるということをじぶんの中で積み重ねている)

◎ぬくぬくの森で
心地よく寝たいだけ寝て
起きたい!とおもったときに起きる


ぜんぶ、今してることや!

+これになにか今じぶんの怖いことをしないと
お金がはいってこない。と無意識におもってたらしい!


だから、
もう楽チンモードにして
わくわくしてるから
めっちゃお金はいってくるやん!な今🙆💕

 

※ぬくぬくの森は
わたしの大好きな布団の中のこと♡

 

***


メールその2

 

※わたしの中で定義している
*わくわく進化論*というものがある

 


わくわく進化論


フェーズ


①我慢してやりたくないことしてる

②わくわくすることする

③わくわくを越えてすべて受け入れる(魂)
(怖いこと含む)

 


わたしは
②をしてるつもりが
①▶③へ飛んでたのかも!


で、
②フェーズは感情のところだから感情が動きはじめて
いろんな感情をじぶんに許したらわくわくも感じていいんだ。と動きだした!


それと、今まで
わたしの進むセンサーが
怖いこと▶わくわくに切り替わった(わくわくを感じられなかった)


やふー🎶


***


この秋、まだ書けていないけれど
とみひでとの関係で
たくさんの感情を溢れさせたわたし。

長年感情を押し殺してきた
わたしにとって感情をだすことは
ひとつ大事なことだったようで


フェーズ理論というものの中で
人間には

第1フェーズ 肉体

第2フェーズ 感情

第3フェーズ 魂


がある
(どれがいちばん。とかでなくぜんぶがたいせつ。)


わたしは感情に蓋をしてしまっていたけれど
それが開放され、↑のわくわく進化論の第2フェーズは**わくわくすること*


感情を開放されたことによって
わたしのわくわくも感じられるようになってきた。ことと

ぜんぶたいせつ。で
第1は昔に第3はここ数年やっていたけれど
第2フェーズができてなくて取り組むタイミングがきた。ということ

 

が分かりなんだかわくわく。

こんなにわくわくして
楽しくて楽チンでいいんだ。ってすごい。。

 

*挑戦*好きなわたしにとって
挑戦じゃあなくなるのでは?と思いつつ
全く未知の世界にいくことと
挑戦しないことが挑戦だったりする。

 


そして、
どうして挑戦したかったのかな?と感じてみると(人間はそもそも挑戦したい生きものだ。ということもあるけれど)
大変な状況でも強くあれること。や
それをちゃんとじぶんの気づきにできることで、じぶんじしんを*すごい*と思いたかったんじゃあないか。ということ

その比較?差?によって
すごいと思いたかったんじゃないかと


でもそんなことしなくても 
そもそも存在しているだけで
在るだけですごいんだと
素晴らしいんだとそう思えたらいい話


それがずっと
できなかったわたしだから
挑戦することでじぶんをすごい。と思いたかったのかもしれない。

 


それと、
どうして
怖いことをしたらお金がはいる。
怖いことをしないとお金がはいらない。と
思っていたのか。も分かってびっくりした。

 

その出来事は
お金のマイナスイメージを浮かべるときにいつもでてくることだったし
昔セッションでそのことに取り組んだこともあり癒されてた。とおもっていたのだけど...

 

それは
中学生の頃
部活は陸上部だったのだけど
そのときに飲む飲み物代や接骨院に行くお金を母にちょうだい。というのがとてつもなく嫌でこわかった。という出来事


いつも
嫌な顔をされたり、ため息をつかれるのがほんとうに嫌だった
そしてお金をちょうだい。というのがとても怖いことになっていた

 

ということは

怖いことをする=お金がもらえる

怖いことしなくちゃ=お金はもらえない

 

 

 

ここに
ちゃんと方程式があった!!!

 

ここでつくられてるじゃん、

思いっきり!びっくり!


今まで
これも原因のひとつだ。と分かってたけど気づいてなかった。笑

 

そうして
今年特に
わたしはその*お金ちょうだい*ということ(怖いこと)をまさに実際にやってお金をいただき生かしてもらっていた。笑


びっくり!

 

そうして
わたしは受け取っちゃあ
いけない人間なんだ。とどこか思いながらいてそんなかわいそうなじぶんでいたかったんだろうな。


かわいそう。なのに強くあれるじぶんだったらすごい。と思えるから

何をしなくてもすごい。と
何をしなくても愛されると思えなかったから


きっとずっと
何もしないことがこわかった
ほんとうはそれだけで愛されていたんだろうに..

 

幼い頃
幼稚園、学校とほんとうは行きたくなかった

行きたくなかったけれど
そんなこと一言も口にせずに通っていたのは

学校に行かないじぶんは許されないのでは。とどこかでおもって頑張っていっていた


ほんとうは
学校にいかないじぶんでも
何もしないじぶんでも
許され愛さたかったんだろうなあ

 

だから、今
なにかをしたから。ではなく
存在そのものにお金を受け取ること
*結料*に対して求めるものが強いのだと気が付いた


(逆に活動やしたことに対しての対価に今年は特に抵抗があって、なにもしなくてもじぶん💮が満たされたら自然とできるようになるのかも。と書きながら感じている)

 


今年
みんなから受け取らせてもらったお金は
どこかで*怖いことをしたから*もらえた。
わたしの*活動*に対して渡してくれた
と感じているところがあるようで

もちろんそれもあるかもしれないけれど

でも、もうすでにこんなにも存在そのものにもらえていたんだ。と気づいていくだけ、改めて受け取っていくだけなんだとおもう

 

今、
わたしが怖いことや何かをしたりしなくても結料を渡してくれる人って
わたしの中で*安心*の関係を築けている人たち


よく、
人から*もっと力抜いていいよ*と
言われることがあるのだけど

え?これでもかなり抜いてるんですけど?笑

と思うことがあって

それは昔のわたしがガチガチ過ぎたから
世界が人が怖すぎてじぶんを世界や人に許せていなかったから。それと比べるとだいぶ力抜いてるんですけど?
ん?まだ抜いていいんですか?

そもそものスタートラインが
マイナスすぎたのだ。笑

 


もっともっと
この世界に安心していきていい

じぶんで在ることを許していい

愛されていることを受け取っていい

 


安心したら
もっと愛を豊かさを受け取っていく
受け取っていくことに気づいていく
そこにあったことに気づいていく

 

 

それだけ。なんだろうなあ

 

 

 

それだけ。ができなくて
大変だったんだろうけど、笑


楽チンモードに切り替わりました♪

 

 

わたしたちの本来の生き方

きょう、とある
メールのやり取りのなかで
きょうは双子座流星群だと教えてもらう*

 


と言っても
ここからは見えないだろうなあ。と
思いつつゴミを捨てに外にでる


ゴミを捨てて
すこし近所をお散歩


たくさんの
家が並んでいて
灯りがともっていて


おうちがあるということ
そこに灯りがあるということは
そこに愛があって
守りたいたいせつな人がいるんだろうなあ。とおもうととっても幸せな気持ちになって


幸せだなあ。
幸せだなあ。と


ひとり
つぶやきながら歩く(怪しい。笑)

 

そうして
坂のてっぺんにたどり着いて
まさか、見えないよねえ。と

振り返りながら
空を見上げると

ちょうど視点を合わせた先に
流れ星が🌠

 

流れ星って
一瞬で心が弾む。


ことし、
久高島で
たいせつな仲間と
同時に同じ流れ星を見た
喜びも忘れられない

 


そうして
さらに幸せだなあ。を高め
おうちへ帰る

 

誰もいないけれど幸せだなあ。は
止まらない。

 

幸せだなあ。
じぶんがいて、幸せだなあ。
そんな想いが溢れてきた


そんなこと
思ったのははじめてだった


でも、
ほんとうは
わたしがいるだけで
わたしがここに存在しているだけで
幸せなんだとおもう

 

*


そうして、
さいきんの日課
ゆっくりお風呂にはいりながら
そのときピン!ときた
本を読むこと。なのだけど
(きのうもそれにより大きな気づきが♡)


きょうは
すこうし前に買って
まだ読めていなかった
宇宙物理学者*佐治先生の
**からだは星からできている**

 


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からだは星からできていることを
数年前にわたしは
尊敬する同志から教えてもらっていて

 

この世界にあるものすべて
星からできているんだったら
おむすびもわたしも一緒!

わたしたちはおむすびだったんだ!

そしておむすびを結ぶ行為は
この世界を結ぶ、つくりだす行為と
一緒なんだ。という考えは
ここからきている*

 

 

わたしたちの世界に
存在する物質は
すべて星からできている

 

 


『私たちの体を構成している
すべての物質は、星が光輝く過程でつくられ、その星が超新星爆発というかたちで、
終わりをむかえ、宇宙空間に飛び散った、
その「かけら」です。

 

つまり、私たちは、「星のかけら」なのですが、その「かけら」からつくられた「かたち」にも、宇宙の性質が投影されているということなのです。』

 

 

 ーからだは星からできている 帯より

 

 

 

 

 

 


わたしたちは
元々、星だった

ひかり輝く星だったんだ

 

 

 

 

 


だから、本来
わたしたちは輝きたい存在であり
すでに輝いている存在であり
わたしで在るだけで輝いていたんだ。

 

 

そう思い出すだけなのかもしれない

 

 

 

 

 

輝いていいんだ
じぶんで在るだけでいいんだ。

 

 


そう許すだけなのかもしれない

 

 

 

 

 


この宇宙に
わたしたちの天の川銀河に輝く星たちは

 


ただ、星で在るだけで


*じぶん*で在るだけで

 


すべてのいのちがうまれ育まれ循環している

 

 

 

 

 

わたしたちが
星のかけらからできているのなら
わたしたちも
星と同じ生き方をするのが
この宇宙本来の生き方

 

 

 

星が星で在るように
あなたがあなたで在ることが

 


この宇宙のすべてのすべてのためになる

 

 

 

 

 


この
わたしたちの本来の生き方を...

宇宙に輝くこの銀河の在り方をこの地上に*

 

 

 

 

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宇宙物理学者の視点からみても

*じぶんで在り続ける*ことは
人間にとって本能であること

 


ひとつの物事を理解してゆくとき、
分かったと思ったら分からなくなる=謎が増えてゆくことは

物理的にもいえることらしい

 


そして
永遠の未完成が完成。

という賢治のことば

それが無限へと繋がってゆく

 


なんとなくめくるページに
嬉しいことばが答え合わせのような
ことばがちりばめられていて

溢れる想いを感じ尽くした後

 

慌ててお風呂からあがり感じたことを

メモしている

 

 

 

 

 

 

 

 


ーあなたがあなたで在ることが
すべてのすべてのためになる

 

 


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わたしがずっと欲しかったことばは
誰かに届けたいコトバ

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

わたしを生きる物語〜富英とのパートナーシップ編 その2〜

今年の秋のお話しの前に…

 

 

昨年…2016年秋の話し。

昨年秋実は
**別れよう**という話しをして
約一年ほど別れてみた。

(特に戻ろうという話しをしたわけではないので続行中?)

 

 

 

 

はじまりは、
昨年の結婚記念日をお祝いしてもらう会の後。

 

 


その日は
わたしが死ぬほど嫌な
人前で歌を歌う。ということを
みんなの前でとみひでとともに挑戦した日。

 

 


2ヶ月ほど前に

それが決まっていたにも関わらず

こわくてこわくて嫌で仕方がなくて
その話題になるとつくり笑いもできないくらいに顔が引きつる。

 

 

 

怖すぎてカラダも拒否していたのだけれど

 

昨年の秋は
それまで長い間世界や人への不信感
満載で生きてきたわたしの中で
世界への信頼感を積み重ねてきたここ数年の中でもググッと高まった時期で、

なにか臨界点を超えたのであろう。

 

 

 


1週間ほど前に
急に歌ってもいいかも。と思えるようになった。

 


2ヶ月たっぷりあった練習期間は

たったの1週間に。

 

 


そして歌った当日。

 

 


どきどきどきどきしながらも


なんと、

後々写真で見たら笑顔もでるくらい。。

 

 


うまくもなんともないのだけれど
出しきれたそれはとても心地がよかった。

 

 


みんなが
優しくあたたかく見守ってくれて

この世界の優しさをより感じ
この世界へに安心感がより高まりたいせつないちにちになった。

 

 

 

もう、ほんとうに
満ちみち足りたこの日。

 

 

 

そんなこと、
1ミリも考えも言う気もなかったのだが.

あまりに心地がよくて
まだふたりとも帰りたくなくて
出掛けた本屋さんで別れなければいけないかも?
という思いに駆られてしまう。

 

 

 

その日のお祝いの席のケーキに
飴細工でできた蝶々がのっていて
可愛くてわたしは頂いた花束にその蝶を持ち帰っていた。


本屋さんでふと
オラクルカードが目に入る。

でも、ふたりとも
満ちみちていてカードをひく感じも
全くなく通り過ぎようとしたら
見たことのない、蝶が描かれたオラクルカードが目に飛び込んできた。

 

 

 

ふと気になって
何気なくカードを引いてみる。

 

 


きっと
おめでとう!とか

なんか祝福のメッセージでも
書いてあると思ったら

全くもって真逆のメッセージだった

 

 

 

ー離別。

家族が病気になったり別れや離婚…etc

 

 

 


ほう…。


とみひでに見せると
もうカードとかそうゆう次元を超えちゃってる!ということじゃあないの?言われる。

 

 

 

なるほど、でも。
なんか気になる。

というか、
言い当てられてしまった感じ。

 

 


今日歌った
わたしの怖いこと=人前で歌うこと。

を終えて
他に今いちばん怖いことってなんだろう?

 

 

 


前から知っていたけど
見て見ぬふりしてきた
それは、とみひでと別れること。だった

 

 

 

そして、
別れたほうがいいんじゃあないか。というのは実は心当たりがあった。

 

 


それは、
お互いが一緒にいることによって
変にお互いの凸と凹を補い合ってしまって
それぞれがやるべきことに向き合うことから
逃げてしまっているんじゃあないか?ということ。

 

 

 

わたしは、じぶんを表現することを。
とみひではじぶんを愛することを。

 

 

 

お金も愛もじぶんを表現することも
すべてエネルギー。

そうしたら
わたしはじぶんを表現しエネルギーを出すことでお金を受け取ることができる。


でも、怖くてそれができなくても
とみひでに助けてもらっているからなんとか生きていける。

 

 

でも、

とみひでは今、じぶんじしんをまずは愛する。ということを知りながら

お金をわたしに優先してつかってしまう。
ということは、じぶんじしんへの愛より他への愛を優先してしまっているのだ。

 

 

 

 

お互いが
じぶんじしんを生きる。と決めているのに
この取り組むべきことができていなかったら
それを邪魔している関係に強制終了がくるのでは?

 

 

 


このままでも
それができるのならいいのだけど…
と、説明しながらとみひでに聞いてみた。

**わたしと別れる気ある?**

 

 

 


とみひでは、
面白そうだね。やってみようか。

 


とさすがの一言。

 

 


お金はどうする。とか
なんとかルールを決めようとしたけれど
特になにも決めずに(離婚をするとかではなく)はじまった。

 

 

 

 

わたしたちは
かなりお互い自由に

じぶんじしんのやりたいこと
在りたいように在ってきたので
夫であること、妻であること、夫婦であることへの枠はほとんど感じていないつもりだった。

 

 

 


けれど、
別れよう。そう言った途端に
どこか自由になった気がして
麻美のことがより、愛おしく思えた。と
とみひでは言っていたから不思議である。

 

 

 

まだまだ、無意識のどこかに
じぶんで制限をつくってしまっていたのである。

 

 

 

 

この別れた甲斐あってか
年が明けて2017年
わたしはじぶんを表現することを待った無しで世界から後押しされている感覚があり世界へ放った。

 

 

そして、*なにかをしたから*ではなく
*じぶんで在る*ことに対して支払われる
元氣玉バンクより88万円を受け取る。

 

 

 

 

と言っても
周りからは
別れている。というのは
ただのごっこだ。とか茶番だ。とか
笑いながら言われるくらい
それまでと変わらずに共にあったし
またいつの間にか
そんな緊張感もなくなっていっていた。

 

 

そもそも緊張感もあまりなかったのかも。
別れるー

と言いながらも共に在れるその信頼関係、
別れてるんだ〜。と笑いながら言える関係に
浸っていたのかもしれない。

 

 

 


これは、
最近になってとみひでに言われたことだが
**別れる**ということに対して麻美は
もっとなにか求めているんじゃないか。

物足りないのでは?と思っていたということ。

 

 


パートナーシップってほんとうに面白い。
じぶんじしんに奥底にある願いがそのまま
関係に表れる。よくも悪くも。

 

 

 

その約束のときがきたんだとおもう。

それぞれのもった願いの
数々が明らかになるおおきな出来事が起こるこの秋の話しはようやく、次に!

 

つづく

 

 

 

 

 

 

わたしを生きる物語〜富英とのパートナーシップ編 その1〜

とみひでとのパートナーシップにおいて

受け取ったものはたくさんある

 

 

 

今でこそ
じぶんの気持ちをスナオに

伝えられるようになったけれど

 


付き合い始めの頃は
悲しくて泣いているわたしに
とみひでがどうしたの?と聞いてくれても
その本音が怖くてこわくて言えなかった

 

 


でも
とみひでが当時はしつこくて有り難かった
(幼い頃はしつこくて*しつ男*と呼ばれていたらしい。笑)

 

 


少しずつ、すこしずつ
じぶんの気持ちを伝えられるようになって

 

 


特に彼のしていた
ネットワークビジネス

当時ほんとうに嫌だったので
その嫌だ。という気持ちも

ちゃんと伝えられて


でも、とみひでにとっては

たいせつなものだから
当然荒れにあれて。

 

 


これまで、

人と…付き合った彼とも

ケンカという喧嘩やじぶんの想いを

ちゃんと伝え合うことをしてこなかった
わたしだったけれど

 


こんなにもじぶんの想いを伝えてもいいんだ。ということ


そして分かり合えなかったとしても
お互いがじぶんの想いを出した先で
お互いが大切ななにかに気づき(わたしの場合はじぶんのカケラ)

 


混じり合える喜び…

ぐっちゃぐちゃになって
もう元には戻れないんじゃあないか。

と思うくらいでも

 


その元よりも

深く愛を感じられる
はじめてのその感覚に

大きな歓びを感じはじめていた

 

 


元々、
人間関係をうまく築いてこれなかった
わたしは、*結婚*というものを
いつかするんだろうな。

 

とかほんのり憧れはありつつも
どこかそうゆうものには
縁がないんじゃあないか。

ーという想いも大きかった

 

 


それに、じぶんじしんのやりたいことが
(当時は世界1周やぼんやりあったカフェをすること)

できなくなるくらいなら
結婚できなくてもいい、もしくは
全部やってから遅い結婚でもいいかな。

ーなんて思っていて

 

 


それは
とみひでも一緒で
結婚している人の話しを聞くと
結婚って不自由そうだ。

というのでわたしと同じ想いをもっていた

 

 

 

それでも
付き合って1週間で
プロポーズできたのは
わたしといたら

 

*もっと自由になりそうだから*

と感じたから。だそうで

 


わたしはこの人生共に在る間
それを隣でどこまでも自由に在りたいし
共に自由にひとりの人としても夫婦としても
なにか枠を壊し続けて魅せていきたいと思っている

 

 

 

 

わたしは、
すべてのいのちとの間に

パートナーシップは存在している。
と思っていて

 


その中でも特定の人と

**パートナー**という
形をとることに不思議さも凄く感じいる

 

 

(だからといって
いわゆる*パートナー*が
複数いることや

一夫多妻的なものは否定はしないけれど
わたし自身は今のところ望んではいない)

 

 


それと共に
そんないちばん身近な

パートナーという存在を通して
気づく宝物の多さに驚きと面白さも実感している

 


お互いがそれぞれの存在を通して
じぶんじしんに還っていくために
必要なカケラを取り戻すために

あなたはこの時期この役割ね。
わたしはこれをするから。

と約束してきたかのような完璧さを感じる

 

 

とみひでは

麻美がいつも
じぶんじしんを生きる姿を魅せてくれたから
俺もじぶんを生きようと思えた

 

 

麻美が

どんどん枠を壊してくれたから
自由になったし
すでに自由であったことに気がついた

 

 


と言ってくれる
だけど


長年、

この世界にたくさんの恐怖と疑いを
もってきたわたしにとって

 

 

じぶんを生きてこられたのも
枠を壊し続けてこれたのも

 


とみひでがいつでも
わたしよりもわたしを信じてくれていたから

 

大丈夫。
とみひでのその一言だけで強くなれた

 

全部麻美の言う通りになるよ。


その言葉に根拠のない自信を

さらに強くして進んでこれた

 

 


わたしにとって
とみひでは安心して立っていられる
大地のような存在になっていた

 

 

 

 

結婚後
半年後…世では新婚というんだろうけれど


急に2ヶ月間

青森から富士山まで歩くことを決めたわたし

 

 


震災後から関わりはじめた
毎年旧暦の七夕に夢を届ける富士夢祭りで
青森と鹿児島から二台のお神輿を

富士山へ向けて出す。
歩く人を募集している。ということを
聞いたとき、これはじぶんが歩くんだ!

と直感的に感じ
とみひでに確認する間もなく、

歩く。と決めた

 


2ヶ月間

 

 

そう決めた後
2ヶ月は長いかも。。
とわたしのほうが
一瞬不安になったとき
最後までやりきったほうがかっこいいよ。
と後押ししてくれたのはとみひでだった

 


昨年は
東京の仲間が
家賃を3ヶ月だすから
東京に来て欲しい!と
言ってくれて

 

 


お互いに尊敬し信頼している仲間だし

全くそういう関係ではないのだけれど
言葉を悪く言うと

夫以外の男が
家賃を出すから東京に来て欲しい。という
ある意味プロポーズのような言葉

 

 


仲間も
まあ、富くんもいるから
ゆっくり相談してみて。


と言ってくれて
おそるおそる
伝えると


いいじゃん!
相手の気持ちが変わる前に早く返事しなよ!の一言

 

 

この人、さすがやなあ。

その懐ろの深さと
相手がじぶんになることに対する愛と信頼はどこからくるんだろう

 

 

 

 

 

大地は

わたしがわたしで在ったおかげで

じぶんになれたというけれど

 


わたしは大地がなければ、

わたしになれなかった

 

 


どっちがなくても存在しえない

どっちがなくても

今の在りたいじぶんにはなれていなかった

 

 

 

 

 

そんな風に…


とみひでは自営業だったし
わたしはそのときそのときに

感じることを感じるままにやってきたので


共にほんとうにたくさんのじかんを過ごし、その多くは対話を重ねて
それぞれがじぶんで在ること。

その自由を尊重しながら共に在るという
生き方を重ねてきてふたりのパートナーシップには自信があった。

 

 


だけど今年の秋ー
そんなわたしの自信を揺るがす
大きなおおきな出来事が起きた

 

つづく