●●ちゃぶ台から世界をひっくり返す●●

〜ちゃぶ台アーティストasami〜

わたしを生きる物語〜富英とのパートナーシップ編 その1〜

とみひでとのパートナーシップにおいて

受け取ったものはたくさんある

 

 

 

今でこそ
じぶんの気持ちをスナオに

伝えられるようになったけれど

 


付き合い始めの頃は
悲しくて泣いているわたしに
とみひでがどうしたの?と聞いてくれても
その本音が怖くてこわくて言えなかった

 

 


でも
とみひでが当時はしつこくて有り難かった
(幼い頃はしつこくて*しつ男*と呼ばれていたらしい。笑)

 

 


少しずつ、すこしずつ
じぶんの気持ちを伝えられるようになって

 

 


特に彼のしていた
ネットワークビジネス

当時ほんとうに嫌だったので
その嫌だ。という気持ちも

ちゃんと伝えられて


でも、とみひでにとっては

たいせつなものだから
当然荒れにあれて。

 

 


これまで、

人と…付き合った彼とも

ケンカという喧嘩やじぶんの想いを

ちゃんと伝え合うことをしてこなかった
わたしだったけれど

 


こんなにもじぶんの想いを伝えてもいいんだ。ということ


そして分かり合えなかったとしても
お互いがじぶんの想いを出した先で
お互いが大切ななにかに気づき(わたしの場合はじぶんのカケラ)

 


混じり合える喜び…

ぐっちゃぐちゃになって
もう元には戻れないんじゃあないか。

と思うくらいでも

 


その元よりも

深く愛を感じられる
はじめてのその感覚に

大きな歓びを感じはじめていた

 

 


元々、
人間関係をうまく築いてこれなかった
わたしは、*結婚*というものを
いつかするんだろうな。

 

とかほんのり憧れはありつつも
どこかそうゆうものには
縁がないんじゃあないか。

ーという想いも大きかった

 

 


それに、じぶんじしんのやりたいことが
(当時は世界1周やぼんやりあったカフェをすること)

できなくなるくらいなら
結婚できなくてもいい、もしくは
全部やってから遅い結婚でもいいかな。

ーなんて思っていて

 

 


それは
とみひでも一緒で
結婚している人の話しを聞くと
結婚って不自由そうだ。

というのでわたしと同じ想いをもっていた

 

 

 

それでも
付き合って1週間で
プロポーズできたのは
わたしといたら

 

*もっと自由になりそうだから*

と感じたから。だそうで

 


わたしはこの人生共に在る間
それを隣でどこまでも自由に在りたいし
共に自由にひとりの人としても夫婦としても
なにか枠を壊し続けて魅せていきたいと思っている

 

 

 

 

わたしは、
すべてのいのちとの間に

パートナーシップは存在している。
と思っていて

 


その中でも特定の人と

**パートナー**という
形をとることに不思議さも凄く感じいる

 

 

(だからといって
いわゆる*パートナー*が
複数いることや

一夫多妻的なものは否定はしないけれど
わたし自身は今のところ望んではいない)

 

 


それと共に
そんないちばん身近な

パートナーという存在を通して
気づく宝物の多さに驚きと面白さも実感している

 


お互いがそれぞれの存在を通して
じぶんじしんに還っていくために
必要なカケラを取り戻すために

あなたはこの時期この役割ね。
わたしはこれをするから。

と約束してきたかのような完璧さを感じる

 

 

とみひでは

麻美がいつも
じぶんじしんを生きる姿を魅せてくれたから
俺もじぶんを生きようと思えた

 

 

麻美が

どんどん枠を壊してくれたから
自由になったし
すでに自由であったことに気がついた

 

 


と言ってくれる
だけど


長年、

この世界にたくさんの恐怖と疑いを
もってきたわたしにとって

 

 

じぶんを生きてこられたのも
枠を壊し続けてこれたのも

 


とみひでがいつでも
わたしよりもわたしを信じてくれていたから

 

大丈夫。
とみひでのその一言だけで強くなれた

 

全部麻美の言う通りになるよ。


その言葉に根拠のない自信を

さらに強くして進んでこれた

 

 


わたしにとって
とみひでは安心して立っていられる
大地のような存在になっていた

 

 

 

 

結婚後
半年後…世では新婚というんだろうけれど


急に2ヶ月間

青森から富士山まで歩くことを決めたわたし

 

 


震災後から関わりはじめた
毎年旧暦の七夕に夢を届ける富士夢祭りで
青森と鹿児島から二台のお神輿を

富士山へ向けて出す。
歩く人を募集している。ということを
聞いたとき、これはじぶんが歩くんだ!

と直感的に感じ
とみひでに確認する間もなく、

歩く。と決めた

 


2ヶ月間

 

 

そう決めた後
2ヶ月は長いかも。。
とわたしのほうが
一瞬不安になったとき
最後までやりきったほうがかっこいいよ。
と後押ししてくれたのはとみひでだった

 


昨年は
東京の仲間が
家賃を3ヶ月だすから
東京に来て欲しい!と
言ってくれて

 

 


お互いに尊敬し信頼している仲間だし

全くそういう関係ではないのだけれど
言葉を悪く言うと

夫以外の男が
家賃を出すから東京に来て欲しい。という
ある意味プロポーズのような言葉

 

 


仲間も
まあ、富くんもいるから
ゆっくり相談してみて。


と言ってくれて
おそるおそる
伝えると


いいじゃん!
相手の気持ちが変わる前に早く返事しなよ!の一言

 

 

この人、さすがやなあ。

その懐ろの深さと
相手がじぶんになることに対する愛と信頼はどこからくるんだろう

 

 

 

 

 

大地は

わたしがわたしで在ったおかげで

じぶんになれたというけれど

 


わたしは大地がなければ、

わたしになれなかった

 

 


どっちがなくても存在しえない

どっちがなくても

今の在りたいじぶんにはなれていなかった

 

 

 

 

 

そんな風に…


とみひでは自営業だったし
わたしはそのときそのときに

感じることを感じるままにやってきたので


共にほんとうにたくさんのじかんを過ごし、その多くは対話を重ねて
それぞれがじぶんで在ること。

その自由を尊重しながら共に在るという
生き方を重ねてきてふたりのパートナーシップには自信があった。

 

 


だけど今年の秋ー
そんなわたしの自信を揺るがす
大きなおおきな出来事が起きた

 

つづく

 

 

わたしを生きる物語 第2章〜その2

震災があってから
しばらくは職場も非常事態


子どもたちはしばらく
体育館に避難しながらの生活


わたしたち調理員は
ガスはカセットコンロをつかっての調理
水は配給されたもの
ごはんはガス釜で炊けないので
非常食のものや麺類が多かった。

市の管理する施設なので
物資が届くのも早かった。


ある食材と環境で
その時担当の調理員が工夫してごはんを提供する。
前の食事は何を提供されたかが
メモされていてそれも踏まえて考える。


限りはあるけれど
あるものでその日のメニューを
工夫してより楽しんでもらえるか。を考えるのは
そのときの状況でそう言うのも失礼かもしれないが
楽しかったし、子どもたちともいつもより
身近かな距離で調理ができたり
共に過ごすじかんができたりと充実していた。


いつからか
なにで知ったのかも覚えていないのだけれど
津波の被害を改めて知り
なにか。じぶんにもできないか。と思い始めていた。


そんな中、少しずつ
時が経ち送られてくる物資が増えてくるなか
子どもたちや職員の中から
不満の声が聞こえはじめた。


あれこれ
飽きないようにメニューは
あるものの中だから
もちろん限りはあるのだけど
みんな精一杯工夫しているにも関わらず


これじゃあ、子ども達が可哀相。ーや
◯◯はもう飽きたーの声。


どうにかしてあげたいけど
できないもどかしさや
この状況で三食食事ができていることへの
感謝ができないことへの苛立ち

物資も届くのはいいが
例えばトマトが何十個はいったものが
何箱も送られてきて
けっきょく悪くしてしまうものもある…

という現状を前に
すぐ近くでろくに食べれずに苦しんでいる人もいるのに…
とそのギャップとじぶんがどうにもできない
やり切れなさを感じていた。


そして日に日に
沿岸部に住む方たちへなにかできないか。と
思いを募らせていた。


思いついたのは
おむすびを結んでもっていく。ことで
ガソリンが少なかったのもあるし
動き始めた沿岸部へのバスは
必要な人に乗ってもらいたいから。と
歩きか自転車でいけないだろうか。と考えはじめていた。

でも、浸水して道が通れない場所がある。や
勝手にボランティアにいくと逆に迷惑になる。など
少ない情報を片手に不安になり
そして友人や親からの反対を受けて動けずにいた。


こんなときでも
こんな大変なことが起きているときでも
じぶんはなにもできないのか。
惨めで情けなくて布団の中で泣いた。


でも、やっぱりいこう。
どうやっていくか分からないけれど、行こう。
そう決めて、行くなら必要なものを届けられたら。と
すでに現地に入っている人の情報を見て
短大時代の埼玉の友人に物資を
送ってもらうお願いをしたりしはじめた。

 


そうこうしているうちに
しばらく連絡を絶っていた
とみひでから電話がかかってきた。

彼からは震災の直後
大丈夫だったか。と安否確認の連絡がはいっていたが
電話がかかってくるのははじめてだった。

 

電話が苦手なわたしだが
おそる恐る電話をとった。


すると
彼も沿岸部になにかしに行きたいという。
そして、当時福祉施設で働いていた彼は
福祉車両として優先してガソリンをいれられるらしかった。


行こうー
その言葉に今度は嬉しくて布団の中で泣いた。

 

 

二日後
スーパーの駐車場で会う約束をして
ジャージに黒い長靴姿で現れたとみひで。
髭も伸びている。…。
(少し前、一瞬彼にときめいたりもしていたけれど
その格好に一緒にいるのが恥ずかしくなってしまったのは内緒である)

 

彼の車に乗って
作戦会議をするー


とみひでは
今日もすでに沿岸部で泥かきをしてきたりと
すでに動きはじめていたようだった。

わたしは
じぶんになにができるだろう?そうおもったときに
でてきたのがやっぱり*おむすび*であり
今も必要なのかは分からないけれどそれがしたいこと。
でも一緒にするとみひでにそれは強要したくない。
もし、したいのなら。と伝えた。

でも、とみひでは
なんの迷いもなく
おむすびもっていこう。と決めてくれた。


今になって思えば
このときから、とみひでは
わたしのすることをなんの疑いもなく信じ
すべて麻美の言う通り。とすべて受け入れ共にやってきてくれた。

 

 

スッと
手を差し伸べられた。


一瞬なんだろう?と思うも
その手を握った。


熱い握手を交わされ
泣きそうになった。

 

じぶんの踏み出したくて踏み出したくてたまらなかった一歩。
を共に踏み出してくれる人がいる。

人生の中でほんとうの意味で
じぶんの*ほんとうのほんとう*を踏み出すのに
こんないとも簡単に一ミリの疑いもなく後押ししてくれる人がいる。


嬉しくてうれしくてたまらなかった。

生まれてはじめての*仲間*ができたような感覚だった。

2011年3月21日ー震災から10日経った日のことだった。


 

おむすび隊決行は
5日後の3/26ー


*おむすび*で繋がっていた
友人に声をかけてその中の1人の友人宅で
前日夜から集まり、泊まり掛けでおむすびを結ぶこととなった。

 

職場で使わなくなっていた
おおきな2升炊きの釜を借りてきて炊くー


男女5人で早朝からおむすびを結ぶ
およそ100個のおむすびたち。

 

わたしの休みに合わせて
この日に決行を決めたものの
前日になって仕事になってしまい
止むを得ず、わたしはおむすびを結んでみんなに託すこととなった。

 

なんのあてもなく
現地のボランティアセンターに行き
あれこれ一転二転、いろんなドラマがありながら
まだまだ道も大変な道のりの中
無事に直接おむすびを届けられた。とのこと。
夜におむすびを結んだ友人宅で報告を受けた。

 


次はいつにしようか?
わたしの休みに合わせて毎週一回は
沿岸部へ足を運びたい。そんな想いにー

二回目は
とみひでと予定が合わずわたしの
予定を優先して3/31に。


そんななか
みんなと自然に集まり
共にごはんを食べたり過ごすじかんも増えて
また、とみひでに惹かれはじめているじぶんに気がついた。


この状況の中だし
すぐにどうこうなろうっていうのは
考えていなかったのだけど


二回目の炊き出しを終えての帰り道に
報告も聞きたいし
家でうどんでも食べていかない?という連絡がはいり
その誘いにのって
震災後まだ片付けもしていない荒れたとみひでの家に行ったのが
はじまりでふたりの関係がはじまった。

 

後々聞くことになるけれど
とみひでの特製、鶏うどんを食べた後
なんやかんや話しをしていたら
わたしが捨てられた子犬のような寂しそうな顔をして
ぎゅーっとして欲しそうだった。

らしく
抱きしめられたのを
はじまりにエイプリルフールから
実は嘘かもしれない?その関係がはじまったのである。笑

 

そのおよそ1週間後
そのときはそうとも分からなかった
プロポーズをされる。

その日
友人宅にいた彼はこれからプロポーズしてきます!と
言ってでてきた らしく
プロポーズしてきました!と報告したという話しを後日
聞き、あれはプロポーズだったんか!と気づいた。笑


と言っても
なんと言っていたかは覚えていないけれど
嬉しくてわたしもこんな幸せを受け取っていいんだ。と思えた出来事だった。

 

そうして、
実際にプロポーズだったということを知り
ふたりで作戦会議。

親への挨拶はいつにするだとか
結納をちゃんと貯めてからしたいだのなんのって。


アースデイに思い入れのあったわたし
翌年2012年の4月22日に入籍しよう。と決める。

 

と言っても実はおおきな不安が…。

彼と一度縁を切ろう。と決めたのは
前の彼とのこともあったけれど
それだけじゃあなく、彼がわたしを誘うのは
彼がネットワークビジネスをしているからじゃあないか。という確信だった。

20歳の頃に一度
わたしも環境によいものを広められるなら。という思いから
一度はやろうとしたことがあるものだったけれど
実際やろうとしたときに
これは、ゲームだから。勝てばいいんだよ。と言われたことが
じぶんの想いとのギャップがあまりにもありすぎて
そういった類のビジネスは一気に嫌いになってしまっていた。

 

大切だとおもっている人から誘われたり
よくしてくれると思ったらそのお誘いだった。ということがあって、
大人になって素敵な方々との出逢いで一度は開きかけた
心にまた人への不信感が募る出来事となっていた。


でも、何度もやってくる誘いや
まして大切な人がそれを大切にしている。というのは
一体わたしにとってどういうことなのか。
大きな問いであった。


でも、まだ直接に
本人から聞いたわけでもなくて
大切な話があるから今度聞いてほしい。と言われたまんまに
そのときをどきどきしながら待つことになる。

 

今となっては
なんの偏見や疑いもないけれど
当時のわたしには大問題で
そもそも付き合っていいのか。という問題にすらなる。

今となっては
大好きで愛用している調味料だけど
当時そのことを告げられて
この調味料いいやつだから使っていいよ。という
言葉にも大大、拒否。

 

とてもとても受け入れられなかった。
そうしてそれを聞かされても
共に歩んでゆくことは決めて
でも、大切な人のたいせつなものを受け入れられない
もどかしさと苦しさも大きく感じていた。

 


震災のある少し前…

とことん、ひとりの人と本気で向き合ってみたい。
ひとりでいることの楽さでなく大変なところに
向き合っていくことに挑戦してみたい。


そう願っていたわたしの
願いはとみひでとの関係がはじまることで叶えられていく。


これまで
こわかった
じぶんの想いにスナオになること
それを伝え合うこと、その先でどう共に生きていくのか。と
どれだけも向き合うこととなる。

 

 

物語〜パートナーシップ編〜へと一度つづく

 

わたしを生きる物語 第2章〜その1

今年、2月に
ニュージーランドに行く前に
書き始めたじぶんじしんの物語*


そのときは第1章で終わってしまっていたのだけど
まだ書き終えなかった第2章の物語もしっかりと感じて
ニュージーランドでその続きを、じぶんのカケラと出逢ってきた。


ニュージーランドからはじまった物語…
そしてニュージーランドで結んだ物語を
今もう一度感じている。

 

ニュージーランドで結んだとおもった物語は
まだ、結ばれていなかった。

 

第2章…
じぶんにスナオに生き始めて
辿り着いた先は
**じぶんを愛する。**ということだった。


もちろん、人生を通して終わりはないこのテーマ。
だけれど
じぶんを愛するをテーマのこの章を
今、わたしは結ぼうとしている。

 

全くじぶんを愛せず信じられずに生きた1章
震災を機に、スナオなじぶんを生き始め
*じぶんを愛する*ということを知る。

パートナーや仲間のお陰で
じぶんを愛し信じられるように。

そうして今、
じぶんがじぶんだけでも
純粋にそれをーじぶんを愛してあげることを。


じぶんを愛せないじぶんとは
じぶんをたいせつにできないじぶんは
誰かのためにじぶんを愛するなんて
もう、終わり。

 

誰がいなくても
誰に愛されなくても
ただただ純粋に
じぶんがじぶんを愛してあげる

 

スナオに生きて
みんなから、世界からたくさんのものを受け取って
生かされてじぶんを愛した先に
トコトンまでにスナオになった先にどんな景色が待っているんだろう。


そんなじぶんの物語を
じぶんが覗いて見たくて書いてみている。


そうして
今のわたしの願いは
じぶんの生きた物語を絵本にすること
そして星を描くこと

それを銀河鉄道のうまれた、宮沢賢治の故郷 花巻でしたい。

 

スナオになんてなれなかったわたしが
じぶんで在ることが怖くてたまらなかったわたしが
スナオになることだけで、じぶんで在ることだけで生きてこれたこと


じぶんの存在を認められず、愛せなかったわたしが
じぶんを愛しゆくその物語はきっと、希望になる


わたしはただ、わたしを生きて、
生きてゆきたい。生きてきた。生きてゆく

それを魅せ続けたい

 

 

わたしの人生の物語の第2章は2011年3月11日、
ジョンレノンの**IMAGINE***〜想像してごらん〜という問いからはじまる。



その前日の3月10日。
わたしは東京の世界一周のことを伝えている団体が主催する
イベントへ出掛けていた。


当時好きだった
世界中をダンスしながら巡っている
EXILEのUSA出演していて
たまらないひとときだった。

 

イベントの中で3/10
きょうで何かが変わる!と何度も
主催されていた方が言っていたのが印象的だった。


つかっていたコトバは
細かく覚えていないのだけれど
震災を予想していたわけでもないだろうが
あとになって振り返ると
確実にあの日を境にわたしの人生は変わっていて
なんあだか予言めいた不思議な感覚だった。

 

イベントが終わって
18切符で往復しようとしていたわたしは
おそらく帰り道…鈍行電車で行けるところまで行って
たぶん、宇都宮かどこかのファミレスで朝を迎え
始発で仙台へと向かった。


3月11日
その日は、当時職場であった
児童養護施設を卒園する子どもたちを送る会が
夜に開催される予定で
食事もいつもより豪華に作るために
調理員一同揃っての勤務でいつもとはちょっと違ったシフトだった。

 

午前中に
仙台に辿り着き
月に一度や二度、何をするでもない
海に会いに出掛けていた浜辺に
行こうとするも、ちょっと時間が足りないかもな。と
その日は止めて図書館へ出掛けることにした。


あとあと気づく…
時間は違えど
3月11日津波の被害があった浜に出掛けようとしていたことを。

 


図書館では
めったに借りないCDを何故か借りよう。という気持ちになり
ジョンレノンのIMAGINEを借りた。

 

 

そうして
職場へ行き、夜の会の準備をはじめる。

お祝いの席だからとその日はお赤飯で
大きな釜で炊くお赤飯が上手くいくか?と
昼間から早めに試作で炊いていたり
揚げ物が多いから。と
フライヤーに早めに火をいれはじめたり

いつもは1人でごはんを作るところを
調理員全員と栄養士さんも。と 調理職員総出だったり
なにかといつもと違う状況と雰囲気の中
準備は進んでいく。

 

そして
やってきた14時46分

今までに感じたことのない
不気味で大きな揺れ。

訳がわからず
歩けなくなりその場にしゃがみ込む。


動揺の声や
さっきつけたフライヤーの火を冷静に消す姿が横目に映る。


この頃の記憶は細かくは覚えていなくて
でも

もう、ダメかもしれないー

そうおもったことは覚えている。

 

施設にいた子どもたち、職員
全員施設の外に出て安全を確認し合い
その後の動きの指示を待つ。


雪が降り始める中
ひとりの
子どもがラジオをもってきていて
そこから*津波*というコトバが聞こえてきた。

が、そのときのわたしにとって
意味が全くわからなかった。


この瞬間にも
たくさんのいのちが
たくさんの人の夢が津波にのみこまれ
悲劇がすぐ近くで起こっている。とは到底思えなかった。

 

けっこうな大きな地震ではあったけれど
夜の会も
また準備をして普通に開催、
明日からも通常通りの日常になる。と何故か楽観的だった。

 

けっきょくその日は
電気もガスも水道も止まってしまい
早めに炊いておいたお赤飯をおむすびにして
あとはどうしたのか忘れてしまったけれど
とにかく送る会どころではなくて
避難した体育館で炊き出しのような形で
皆に食事を配った。


地震直後から
家族とは連絡が取れずにいたけれど
夜には、帰っていいよ。と言ってもらい

街灯も信号機もついていない道路を
シーンとこの世界の人わたし以外いなくなってしまったんじゃあないか。
というくらいに静まりかえった街を
車に乗って恐るおそる帰っていった。


坂を下るときに
見上げた空ー
あのときの星空と
星々を見て感じた希望が、きっと今ここに繋がっている。

 


**大丈夫**ーそう思えた瞬間だった。

 

 

 

じぶんを大切にできなかった代償はでかい

じぶんを大切にできなかった代償はでかい

 

 

カラダをたいせつにできなかったときは

カラダが悲鳴をあげることで

 

じぶんの

ほんとうの願いをたいせつにできなかったときは人間関係が滞ったり問題として目の前に現れたり

 

 

もう一度

じぶんのほんとうの願いを

どん欲に思い出して

周りや状況関係なく放つ

 

 

そうするとエネルギーが流れだす

 

 

 

怖いけれど

こわいけれど

 

 

じぶんを貫くことで

じぶんをたいせつにすることで

じぶんを生きることで

 

 

たいせつな人と重なれなくなるんじゃあないか。ってこわいけれど

でも、その本音の先でしかほんとうの意味で重なれない

 

 

 

ひとりひとりが

個の花を咲かせて

和になるところをなれるところを

わたしは見たい

 

 


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美味しいの*美*はいのちの美しさ

せんじつ、
仲間と共に
前にもらって美味しかったパンを求めに
パン屋さんへ向かっているときに

 


わたしが先頭きって
歩く姿がワンピースに
出てくる**ビックマム**みたい。と言われる。笑

 

 

 

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ちなみにパン屋さんは

青山のecruさん*

 
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(菓子パンは普段食べないのと

メロンパンってそんな好きじゃあないのだけど、ここのメロンパンがたまらなく美味しかった♡小さなパンもむちっむちでlove *)

 

 

 

話し戻り

ビックマム...
うーん、ビックマム
だって、これよ。ビックマム。

 


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でも、ビックマムの夢って...


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『世界中のあらゆる人種が

家族となり同じ目線で食卓を囲むこと...‼』

 

そして

平和と

みんなが平等に暮らせる夢の国


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一緒やー!!

 

 

 

 

夢が一緒なのもそうなのだけど

(そうは言っても

ビックマムのその夢を叶える方法は

どうか。というのは置いておいて..)

 

その求めゆく姿が
なんなのか、きょう分かった

 

 


きょう、友人の紹介で
とっても美味しいパンを食べた♡
(米粉の塩パン💕美味しかった。。)

 
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それと同時にきょう
美味しいといえないものもいただく

 

 

美味しくないものを食べると悲しくなる

 

 


きょうも
とてつもなく
悲しくなってしまった

 


もっと
こうだったら、ああだったらと
パートナーと話していたのだけど

 

美味しくないものを食べて悲しくなるのは
それが、いのちが生きていないからだ

 


食感や風味が
消えてのぺっとしてしまって
いのちが生きていなくて悲しくなる

 


美味しい。そう思えるものは
いのちが生きているから
美味しいの*美*はいのちの美しさ

 

 

 

いのちの美しさに
出逢いたくて
わたしはごはんをつくる
わたしは美味しいものを求め続ける

 

 

 

その姿が
どうやらビックマム級らしい。笑

 

だから、褒めコトバとして受け取ろう

 

 

 

 

 

わたしはいのちの美しさを
この五感とすべてで感じ出逢い続けたい

 


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(こちらは仲間のイベントにて内で

ひとり一頁ずつ朗読して回す。というコーナーにてわたしの当たったページ♡)

ほんとうのほんとうは...

わたしたちは
どこまでも
じぶんの願いを
スナオな想いを
伝えていい

 

ほんとうのほんとうは...は

とてもパワフルだ

 

 

それを

伝え合えたとき
おおきくエネルギーは流れてゆく

 



愛を伝えてくれているから...
すでに受け取っているから...
それ以上わがままに言うのはどうなんだろう。そう思ってしまうことってあるけれど


ほんとうの願いを伝えること

 

ほんとうはこうしたい、こうしてほしい
ほんとうはこうしたかった、こうしてほしかった
ほんとうはこう思っている、こう思っていた


ほんとうのほんとうは...

 

 

 

**ほんとうのほんとうは..**

 

もしかしたら
ちっぽけなじぶんかもしれない

口にするのは恥ずかしいことかもしれない

こんなこと言ったら相手のプライドが傷つくかもしれない

 

 


だけど、そんなことを越えて
わがままにどん欲に何度でも
その願いを想いを放っていい

 


それを伝えられるだけで
問題とおもっていたことが問題ではなくなり
こじれていたものがほどけてゆく

 


むしろ、
そうすることでしか
ほんとうに繋がれない


ようやく
*じぶん*になれて
純粋なもの同士が交ざり合ってゆく

 


スナオになること
その想いを伝えることから
はじまってゆく

 


あなたの
奥底にある
*ほんとうのほんとうは..*?

 


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ぜんぶぜんぶぜんぶでじぶん

じぶんの
美しい望みに
美しい在り方に
一瞬で辿り着ける強さもいいけれど

 

人間だから
たくさんの感情があっていい


その想いたち、無視してない?
ないものにしていない?

 

泣き悲しみ
怒り苦しみ
たくさんの葛藤や抵抗


ぜんぶぜんぶ
ぜんぶの気持ちをたいせつにしてあげる


そうした先にちゃんと
じぶんの強さに出逢えるから
美しさがそこにあるから

 

カラダも感情も美しきじぶんも
ぜんぶぜんぶぜんぶでじぶん

 


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