●●ちゃぶ台から世界をひっくり返す●●

〜ちゃぶ台アーティストasami〜

すべてのものはメッセージ~♪

ここ数週間
歯医者に通って
せっせと歯の治療をしている*



きのうは
詰め物をしてもらい
それの噛み合わせを
合わせるのに

先生と助手の方、
わたしとでその高さを合わせるのに超微調整しているのが
なんだかこの世界で

という

いのちの型を知っていくのと同じようでなんだか
おもしろかった。


髪の毛
一本、二本分とかの
超微妙な
加減を削っていて
それだけでも
全く噛み合わせの
感覚は変わってくるそう。


しかも、
口の中は
手よりもその感覚が
繊細らしい。




虫歯なんて
ならないほうが
よいけれど


虫歯になって
それを削ったり
抜いたりすることが
それまでの*じぶん*が
死ぬことなら


ほんとうの願い、
じぶんを
生きていくためには
その願いや
ほんとうの*じぶん*
を知っていくことがひつよう。

それが
あたらしく
はいる詰め物。笑



まずは
そこの型がひつよう。


どのくらいの
深さ?大きさ?形?なのか。





全くじぶんじしんがわからない、
なにが好きか嫌いかも
わからない状態でも


ちいさな頃の
歓びをおもいだしていくことや



とりあえず
目の前に
あることに
飛び込んでみることや
起こった出来事に
対してじぶんの中に
うまれる感情やその奥底にある願いを見てみるとすこしずつ浮き彫りになってくる



このとき
新たな型に気づいていくと
(虫歯のときの)
じぶんの型はこれだ!
とおもっていたものと
全く正反対!
みたいなことが
起きたりするから面白い。




わたしは
昔は
じぶんを犠牲にしてでも
他人に尽くすことが
じぶんの在り方。


だと
思い込んでいた。


人のために
人のことをする。

人に尽くすことことそが
じぶん。だとおもっていたのだけど



なんと
真正反対?!



いまの
わたしの在り方の
根底は

わたしがわたしを

生きたらすべての
為になる*というスタンス。



誰かのためになにかする。
というのでなく
じぶんを生きることことそが誰かの、みんなの為になっていく。


これは
その人ひとりひとりの型というより、すべての人の生きる上での根底だとおもっている。



親からの影響や
教育、生きていくなかで
そもそもの型とは
全く違うものを
いれようとしてしまっていたのかもしれない。


そりゃあ、
形が違ければ
はいらなかったり
隙間があって
虫歯になってしまう..。





そうして
じぶんの型がとれて
あたらしくはいる
詰め物(じぶん)の形もわかってくる。


そうしたら
実際に詰めてみる。


窮屈さ
高さ噛み合わせを
調整していく。



ここ数年、

というものの

本質がわかった!!

とおもったら


あら、また分からなくなった。そしてわかった!

の繰り返しで
今おもうと
あのときのじぶんは
じぶんをわかった気になっていたけど
まだまだ知らなかったなあ。


と常々おもうように


やっぱり

を知り

探求していくことに
終わりはないのだろう。



だけれど、
歯の高さが
整って
よくものを噛める。


じぶんの傷を癒し
マイナスから
ゼロのフラットなところになり
そこからさらに
世界にじぶんを活かしていく。


その
フラット、ゼロに
整える
ある程度のラインがあると
わたしはおもっている。



世界に
じぶんを表現しながら
世界からの
反応やじぶんの中にうまれる感情を感じながら
さらに細かくじぶんを知っていく。




あの、
歯の
高さを整えるのに
赤い紙を噛むのもそうだなあ。とおもって。笑



その赤さが
高さがある
歯の部分に
ついて
それを先生と
助手の方が
見ながら削っていく。


わたしは
どんな感じか
感覚を伝えていく。




世界は
じぶんの中の
すべてをうつしたものだから

歯が赤くなることイコール

はい、ここいらないですよー。ここもっと削りましょう~。

と世界の現象が
他人がすべてを教えてくれる。
そして、じぶんの世界に対する反応もすべてを教えてくれている。



じぶんだけで
じぶんを知っていくのではない。


すべてがじぶん。
すべてがじぶんがなにものかを教えてくれるメッセージ。


いや、じぶんじしんが
すべてをつかって
じぶんを知るためのメッセージを世界中に散りばめている。



気づくのは
いつだってじぶん。






なんか、ものすごく
わかりづらそうだけど
歯医者さんにいって


じぶんを生き
じぶんを知り
じぶんを形づくる行為と
一緒だなあ。とおもしろかった。というはなし。





*


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