●●ちゃぶ台から世界をひっくり返す●●

〜ちゃぶ台アーティストasami〜

じゃんぷのすこし前part2



きのうの**じゃんぷの前**の続き…



わたしがうすうす感じてきた違和感。
それは、みんなで囲む食卓楽しいかな?ということ。






実はわたし
小中学校(特に中学生)のときの給食のじかんが
嫌でいやで仕方がなかった。


給食のじかんはもとより、そもそも
学校というものが嫌で毎日憂鬱で仕方がなかった。



と言ってもそんなこと、一言も放ったことはなく
まして休みたくてもカラダが人一倍健康なので
学校を休みたくて前の晩に水シャワーをどんだけ浴びても
全く効果はなく、朝礼で貧血で倒れたいなーなどと思っても
今ではちゃぶ台を担いで富士山に登る強靭なカラダをもったわたしにそんなことが叶うはずがなかった。


休んだことといえば、確か小学1年生のときに
朝起きられず、起こしにきた母に
「どうしたの?お腹痛いの?」と聞かれ
うん。と頷いてみた仮病の一回のみだったように思う。







話を戻して
ー給食のじかん。

昔から食べるのが大好きなわたしは
ある意味いちばん好きなことができるときでも
あるのだけれど、その一時がたまらなく苦痛なのである。


机を向かい合わせて食べるそのじかんが
怖くてこわくてたまらない。


元々、口数は多くはないが
じっと黙ってもくもくと給食を口に運ぶ。


みんな楽しそうに
給食のじかんを過ごすなか
わたしにはそれができない。

みんながする、楽しい、たわいもない話ができない。


ーそれなのに、食卓をつくることをしている今。
ここ数年で気がづいたことがある。








誰よりも
人が怖くて
人と繋がるのが怖くて
人と向き合うのが怖かったわたしが
何よりも、誰よりも、それをほんとうは求めていたということ。



ほんとうは
人とどこまでも深いところで繋がりたくて
とことん人と向き合ってみたかった。


それが、上辺だけの
会話や関係じゃあなくて深くふかく。





そんなじぶんだから創れる食卓がある。
とおもって活動を続けてきたけれど
見え隠れするそんな弱くて臆病なわたし。



そんなじぶんが
わたしの違和感となって再び、目の前にやってきていたのだった。








わたしの感じているひとつ。

じぶんがじぶんであったとき、
じぶんじしんと結ばれていたとき
それは奥底のみんなと繋がっているゾーンにアクセスしているから
誰かと繋がろうとしなくても、自然に繋がれる。




だけれど、
あれ、わたしわたしのごはんが作れているのに
どうしてみんなと繋がれてないんだろう?と感じていたさいきん。




弱くて臆病なわたしと
友達になって共に歩めてきたと思っていたけれど
わたしは、過去のことを過去は過去のこと。と
蓋を閉じてしまう傾向があるので
気づいてほしくてやってきたのかもしれない。


というより、
そのときの*わたし*というより、
もっとたくさんのトキのわたしだ。


過去のことは過去のこと。と、
たくさんのじぶんをどこか切り捨ててしまっていたのかもしれない。









*じぶんの生きてきた人生、物語を愛することはじぶんじしんを愛すること*




この数年で、*じぶんを愛する*ことに向き合ってきたわたしだったが
もっとじぶんを認めてあげてもいいのかもしれない。そう思った。





実は、わたしの物語の第2章(そのはじまりは震災)の完結を感じ始めていて。
この2月と3月にわたしはその物語を結ぶ。


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それまでに、
わたしじしんのこれまでの物語をちゃんと繋いで書き記したいとおもっている。






話がおおきく膨らんでしまったけれど
じぶんの中におおきな違和感がうまれた後、
またしてもやってきたごはんを作れない。という現実。


だけど、その*作れない*感覚が今までとは違かった。



ーごはんは作れない。でも食卓は作りたい。
そして、誰かと一緒にごはんを作ればできる…かも。。


という感覚。






といっても、、
わたしは、ひとりでじぶんのペースでごはんを作るほうが好き。


だって、集中してるときに声かけられたくないじゃん。とか
不器用なので、口が動くと手が止まる。とか
食材のいのちたちと向き合いたい。

(でも、ごはんを作っているときは
わたしがよりわたしであるので周りの人が心を開きやすいのかも。とも感じることもあって(ピリピリして近寄れないときもあるとおもう。笑)
台所をみんなに開くこととじぶんを守ることの葛藤が。)



とあれこれあるもので、
誰かと一緒にごはんを作ることはおおきな挑戦でもある。






何はともあれ
感じている、この感覚を信じて
まずはパートナーとみひでで実験。

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(一緒にごはんをつくったときのとみひで。職人スタイル?笑)






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(きのう、とみひでとつくったごはん。左に白い皿はとみひで特製とり胸フライinチーズ&のり。
まさかのまるまんまつかう豪快で美味しい一品でした♡ きのう初登場のちゃぶこた!の上にて)







…楽しかった。美味しかった。×数日。








先日、仲間が東京からやってきた
仙台の大切な人と結ぶ場にやっぱり食卓を作りたい。



でも、もりもりは作れない。
人のお家にごはんを持っていくなら普段ならはりきって作るところ。

…をやめた。
無理しない、いつものわたしじゃあ少ないかも?というでも心地よさのある量を仕込む。


そして、おからコロッケの衣づけはしたくない。笑

それを仲間に、わたしはしたくないんだよね。
お願いしたい。と伝えるとひとりひとりちゃんとじぶんがやりたいかを感じてくれて、最後までやらない。を貫き通したメンバーも。


スナオになると、ちゃーんとその役割をやってくれる人がいる。





翌日、節分も楽しくみんなで恵方巻きを食べたい!
今までだったらわたしが全部恵方巻きを巻き巻きするところまで
していたのをひとりひとりmy恵方巻きを巻くことに。









…あーだこーだわーーぎゃーぎゃー
言いながら楽しかった〜〜。

…あれ?楽しすぎたーー。









そんな風に
過去のわたしのごはんへの想い=*人への愛情表現*なごはんから
*じぶんのごはん*が作れるようになって


今度は、*じぶん*もありながら*みんな*へも
そしてすべてと繋がっていくごはんへ


わたしのこれまでつかってきた
*すべて*って自然や見えない存在のことが強くって
*人*というものへの苦手意識があるから抜け落ちやすいのだけれど
今度は*人*をも含めたすべてへー


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(インスタMessage付きでuphttps://instagram.com/p/BNRhCuyg9eT/)
    








食卓を囲むことは、今でもすこし怖い。
どうして、じぶんがいちばん嫌いで怖いことを
じぶんの生き方の真ん中に据えているのか。


じぶんでも呆れるし、諦めてくれたらいいのにー。とも思う。



ただ、じぶんの作ったごはんを出すだけなら簡単なのに
わたしはそれをみんなと一緒に食べることを、食卓を作ることをしている。




先日、それに気がついて唖然としてしまった。笑
わーーだからといってそれを辞めることはできないんだろうなーー。








人間がたくさんの海を越えて世界を見つけていったように
わたしたちの祖先のいのちたちが危険をおかしながら、
こうしていのちを繋いでそして進化してきたように
わたしもそのDNAをもった冒険者なんだなあ。とおもった。


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そんな、じゃんぷのすこし前。