●●ちゃぶ台から世界をひっくり返す●●

〜ちゃぶ台にのせるスナオな想いを結ぶ〜

じぶんを生きる。は好きなこと、わくわくすることだけじゃあない。

いのちを輝かせて生きる

 


好きなことをする、
わくわくすることだけじゃあない。

 

ーーー


好きなことをして生きていきたい。
わくわくだけで生きていきたい。


そう決意して
5年前、仕事を辞めた
わたしもひとり。


当時、
今から思うと
その好きなことすら
全くわかっていなかったし
なーんのあてもないのに
なぜかそれで食べていける!
と根拠のない自信をもって
突き進んでいった
あのときのじぶんを褒めてあげたい。とつくづくおもう。

 


そして今、
好きなこと、わくわくすることだけで生きているかというと
そうでもない。

と言うと
語弊を招きそうなのだけど

今、幸せだ。と言い切れると同時に
当時よりじぶんじしんを生きている。ということは間違いなくいえる。

 

というのも

ほんとうのほんとうのじぶんの歓びやわくわくすることは
表面的にみると全く好きだと感じたりわくわくするものではないことが
ほとんどだからだ。(わたしの場合はほとんど。。)

 

仕事を辞めた当初は
目の前に感じるわくわくすること
好きだとおもっていた
人の役に立つことや地球のためになることをやってきて
じぶんの使命だとおもっていたけれど


常に不足感やすぐに違和感を感じてしまい
次のなにかを探していた。


そうして
セミナーや講習などお金やじかんもつかったけれど
さあ、いざやりましょう。となると
何かが違う。とパッとすぐに手放してしまった。


パートナーのとみひでからは
飽きやすいと呆れられていたし
お金もじかんも掛けたんだから
それで少し稼いでみたらいいのに。と言われたけれど
じぶんの真ん中となにか違うと
できなくなってしまっていた。


そんなことを繰り返しながらも
ごはんを作ること、食卓をみんなで囲むことだけは
ずっと続けていた。

 

それだけじゃあない何かが欲しかったのか
飽きやすいと言われていたけれど
根底はずっと変わっていなくて
みんながじぶんに還りいのちを輝かせられる何か。を
探していたけれど、ごはんだけではそれはできない。と
まだまだごはんの食卓のチカラをじぶんじしんを信じられていなかったのだとおもう。


それと同時に
食卓を囲むことはもってのほか
ごはんを作ることも好きなのかよく分かっていなかった。


中学生からごはんを作り始めたわたし。
食関係の専門学校や短大もださせてもらい、
そんだけしてもらったなら
食関係の仕事をしなくちゃ。とか
長年やってきたことを認めるために
『好き』と言わなくちゃあいけない気がしていた。


まして、
食卓を囲むことは嫌いなことに
間違いないのなら
ごはんを作ることだけは好きでいなくちゃあいけない。
とおもっていたようにおもう。


ある日、
尊敬する人が我が家でやったイベントにきてくれて
ごはんを食べながら
『麻美ちゃん、料理するの好き?』と聞かれた。

好き、、なのかなあ?
好き!と真っ直ぐに答えられないじぶんへ疑問と
そんなこと聞くなんてごはん美味しくなかったかな。と悶々と考えてしまった。


それから
好き。でなくてもいいのかも!と
じぶんに許すことにした。


そもそも
料理が好き。というより
食べることが好き。というのは確信をもっていえて
じぶんが食べたいものを食べたいがために料理もはじめたのだ。


料理好きなの?と聞かれると
この気持ちを正直に答えるようになり
だいぶ気持ちも楽だったようにおもう。


そうこうして
ほんとうに、ごはん作ることが好き!
と言えるようになったのは
実はここ1,2年の話。


昨年は
その想いが溢れ留まることを知らず
とにかくごはんが作りたすぎて

わたしに食材を与えてくれーー!
追いつかないからみんな食べてくれー!

な特に大きなビックウェーブ状態が
何度かあった。

 

そうして、
ようやくごはんを作ることは
わたしの好きなことリストに仲間入りしたわけだけど

好きなこと、わくわくすることで生きていく。と
決めたにも関わらず
好きか分からない料理を続けてこれたのは
学校に行かせてもらったから。という後ろめたさだけでない


直感的に
何かこれは(いい意味で)やらなくちゃいけないことだ。と
感じてきたからだ。


食卓を囲むことも同様で
大嫌いだったそれを
ずっとやってこれたのも
なにか奥底にある願いを感じてきたからだとおもう。


昨年はじめに、
これはわたしのいのちからの願いだった。
とじぶんの深いところから感じることが
できたけれど
感情的に嫌だとおもうことはまだある。

 

前回のブログで書いた
歌うことも同様だ。


そして、今やっている
文字を綴ること。
想いを伝えることも。

 


ほんとうにやりたいことの
ほとんどを『嫌なこと』で封印してしまっている。

 

 

 

それは

その欲求が叶えてあげられなかったり

否定されてしまって

ないふりをした。嫌いなふりをした。

 

そうしたら、傷つかなくていいから。

 

 

 

でも、
それってほんとうにやるべきこと
ってどこかでじぶんは知っていて
そして待っている。
もう一度、それを解凍し
ほんとうの願い、歓びを
思い出されることを。

 

 

 

遅すぎることはない。

ちゃあんと、よきときまで

そのトキまで守られてきたんだ。

 

 

 

 

と言っても
嫌だ。という感情は
最初はつきまとうから
怖いんだよね。嫌なんだよね。

 

 

 

 

なんだか
人間はどこまで
挑戦したがりな生きものなのだろう。と

嫌なことばっかりで嫌だなあ。とつくづくおもうし
もっと楽だったらなあ。とおもうのだけれど、
それはそれでつまらないんだとおもう。

 


いのちはいつだって
挑戦したがっているー

 

そして
ほんとうの願いを思い出されるのを
待っている

 

 


今、とてつもなく
じぶんの中にある愛をみんなと分かち合い、じぶんがいて

もっともっと、世界の人の愛を信じてみたいじぶんもいて


それをどうやってしようかな。とおもうたら
出てきた3つがこれまたイヤ〜なことなのである。笑


そのひとつが
コトバで表現すること。
このブログを書いていることも
じぶんにとっての新たなる挑戦。


イヤで苦手で仕方ないことなのに
嬉しいコメントや
直接のお言葉がもうもう、嬉しすぎて
感激…というより
ほんとうに、できないこと。としか
おもってなかったので
なにが起きているのかよく分からなかったりする。
不思議でたまらない。笑

 

 

他のふたつも
これから、放って参ります。

 

 

 

 

ひとつずつひとつずつ
その願いを叶えてあげる

今は願いだなんて思えないことも
いつか分かる

 


叶えてあげる
いのちの願いを


そうしたら
願いは喜んで少しずつ
願いに、歓びに還っていくから


信じてあげる
すべてを思い出すそのトキを

 

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