●●ちゃぶ台から世界をひっくり返す●●

〜ちゃぶ台アーティストasami〜

いのちのパートナーシップ

きょうは
久しぶりに
仙台に帰り
お招きいただいた
結婚式に出席



式に向かいながら
結婚ってなんなんだろうね。結婚式ってなんなんだろうね。


とパートナー
とみひでと
話ながら向かう。



ここさいきん、
仲間とも
パートナーシップについて
話す機会がおおかった。



パートナーというと
一対一の
男女のことを
いうことが
多いけれど


きょうの
結びの場も
感じ尽くした上で

すべてのいのちとの間にパートナーシップがある。



わたしは感じている。
ということに改めて
気がついた。


し、
その
ひとつひとつ
ひとりひとりとの
パートナーシップを
より濃く、

いま、パートナーとみひでに感じているパートナーシップを波及させていきたい。と願っている。





実は
わたしたち
昨年秋に
[別れよう]という話をして
いま現在もそのまま別れている最中である。笑



それは
二人の結婚記念日を
素敵な仲間たちに
お祝いしていただいた後。



その日は
死ぬほど嫌な
人前で歌うこと。に
とみひでと挑戦したわたし。


ほんとうに
これはわたしにとって
こわくて仕方がないことで
二ヶ月前に歌うことが
決まったものの
ほぼ二ヶ月間
それが嫌でいやでたまらなかったし、その話題になると作り笑いもできないくらいに顔がひきつる。

怖すぎてカラダも
拒否していた。





昨年秋は
世界や人への不信感
満載で多くを生きてきた

わたしの中で
世界への信頼感が
よりぐぐっと高まっていた時期でなにか臨界点を越えたのだろう。


一週間ほど前に
急に歌ってもいいかも。
とおもえるようになった。



二ヶ月たっぷりあった
練習期間は
結局たった一週間。



そして、
歌った当日。



どきどきどきどきしながらも、なんと笑顔も後々写真で見たらでるくらいで
うまくもなんともないのだけれだれど、出しきれたそれはとっても心地よくて


みんなが
やさしくあたたかく
見守ってくれて

この世界の優しさをより感じ、この世界への安心感をより高まったたいせつないちにちとなった。



もう、ほんとうに
満ちみち足りた
この日。



そんなこと言うつもりなんて一ミリもなかったし
こんな満ち足りた気持ちだったのに感じてしまった、
別れるひつようがあること。
おお~なんとこんな日にー!



思いつつ
これ、きょう
言わなきゃダメなやつやー。。





とみひでに
わたしと別れる気ある?

と聞いてみた。




薄々感じていたのだけど、


パートナーは
足りない部分を補い合う。なんていったりもするけれど、そういうことじゃあなくて


二人が一緒にいることで

それぞれが
本来、
いのちを生きるために
やるべきことを
しなくてもなんとか
成り立ってしまっているものだから、それに甘えてしまっているのではないか。と感じていた。




わたしは表現することを。
とみひではまず、じぶんじしんを愛してたいせつにしていくことを。





わたしたちは
いのちを生きることを
決めているから
本来、望んでいるから


このまま
それを無視してしまうと
きっと強制終了がくるとおもうんだよね。



別れなくても
それができるなら
いいんだけど、、。



そう伝えると



面白そうだね、
別れてみようか。



と、
とみひで
さすがの一言。



別に離婚するわけでもなく
ルールはどうしようか?と話したけれど
けっきょく特になにも
決めることもなく
一緒に暮らしながら
別れてみてた。



でも、
その
別れようという
言葉を発しただけで
お互いより自由さを感じたから不思議だ。



わたしたちは
普段から
かなりお互い
気持ちも
実際の行動も自由に
することを許していたはずだけれど
それでもどこか
無意識に
夫婦という枠に
なんかしらの義務感や
縛りを感じていたのかもしれない。



ただの
ごっこといえば

なのだけど

周りからみたら(本人たちも?)
別に別れてるようには
感じないけれど
それがあったから
より無意識に
やるべきことに
意識が向いたのか
お互いそれに
向き合い、実践。


それぞれが
じぶんに還る課程を
体験しながら
前とは
違うパートナーシップのカタチをいま体感している。



こんな風に
ひとりのパートナーとの
パートナーシップでも
日々、瞬間しゅんかん
そのカタチは刻々と
変わっていくし
もっと大きな期間での
在り方も変化していく。


それが、
一時、距離が離れる場合や
一緒にいることが
終わることもある。



それがさ、
ひとりに対してのものではないとおもうのだよね。


それが 
すべてのいのち
ひとりひとりとパートナーシップを結んでいる。


ひとりひとりとの
距離感や愛のカタチが違うだけ。




パートナーって
よりじぶんじしんを知り
それぞれがじしんに還るための鏡のような存在。


中でも
より近く濃く
向き合い気づき合う
いちばん近い
いわゆる
[パートナー]の存在もありながら(わたしにとってとみひではそう)


それだけではない
わたしたちは
すべてのいのちとの
対話のなかで
じぶんじしんを知っていく。





仲間との対話はもちろん

ネットで一方的にブログを見る関係や

通っている歯医者さん

電車で隣になった人

お店の店員さん

見知らぬ、着物が綺麗ね。と声をかけてくれた人


何故か友達の結婚式で
毎回席が隣になる知り合い





実は
誰でもない
じぶんじぶんが
誰かを通して

あの手この手で
じぶんじしんというものを気づかせようとしている。



だから
わたしたちは
出逢う誰かを通して
じぶんじしんにより気づいていく。



わたしたち
人間はほんとうに
面白い存在だとおもう。




じぶんを忘れて
この世界にうまれて

この世界のすべてをつかって、じぶんじしんを知る。という大冒険をしている。







人との出逢いの中で
じぶんの中に
うまれたものを
見つめてごらん。



歓び、悲しみ、怒り
共感、違和感-...



じぶんのなかの
なにがそう反応しているのだろう?
どうしてそんな想いがうまれるのだろう?



そうやって
ひとつひとつの
ひとりひとりとの
パートナーシップのなかで
わたしはわたしに気づいていく。

わたしに還っていく。





わたしが
とみひでと別れよう。とおもったのはひとりとだけのパートナーシップだけではない
すべてのいのちとのパートナーシップを結びたい。とおもったから。


だけど、
結びたい。というより
すべてはもともとひとつで
すでに結ばれていてそれに気がつくだけ



そして
目にうつるもの
すべてがじぶん。


目の前に存在する
すべてのいのちがじぶん。



すべてのパートナーシップはじぶんじしんとのパートナーシップ






とみひでと
向き合い育んだ
パートナーシップは
わたしの宝物であり
おおきなじしんである。



そのパートナーシップを
カタチは違えど
ひとつひとつの結びの中に
静かに、優しく広げていきたい。


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