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〜ちゃぶ台アーティストasami〜

物語〜序章その4

 

児童養護施設に調理員として就職して1ヶ月も経たないうちに
じぶんの想いとの違和感を感じ始めた。


親と様々な理由があって暮らすことのできない
子どもたたちに愛をもってごはんを作りたい。と
思って働き始めたが、じぶんが作りたい理想のごはんとはかけ離れていた。


できるだけ自然な食事をじぶんじしんも食べたいし食べて欲しいと思って
いたわたしにとって、冷凍食品や添加物をつかうのは当たり前
野菜もきっと農薬がたっぷりかかったであろうものを使わなくちゃいけない
現実を目の当たりにして愕然とした。

 


でも、世界一周のためのお金も貯めたいし…


子どもたちへあたたかなごはんを届けたい。という想いは根底にあったので
この施設のなかでできることをやってみようと決めた。


施設では、2歳から18歳の子どもたちが100人弱が暮らしていて
その子どもたちと子どもをみている職員さんの食事をつくる。

 


朝は全員食堂で食べて、学校や幼稚園のある子たちはその給食やときに
お弁当をつくってもたせる。夜は家族のようなユニットになっている部屋に
作ったものを届ける。


この施設で生活しているので基本的な食事は
わたしたち調理員のつくるごはんとなるので
子どもたちのカラダをつくる上で重要なのは言うまでもない。


わたしたち調理員は、栄養士さんの作った献立に沿ってごはんをつくっていく。
日々のごはんなので、専門的な凝った料理というより
家庭料理でだすようなものがほとんど。


献立表に使う食材や調味料が記してあって
それを実際の形にしていく。


栄養士さんがとても寛容で素敵な方で
みんなそれぞれの味があると思うから
(一応調味料の分量なども載っているのだが)
最終的な味付けは3人いる調理員さんそれぞれに任せる。と言ってくれていた。

 

なるべく、子ども達のカラダに安心なものを使いたい。と
伝えるも栄養士さんもその想いは山々だが
予算や、仕入れ先が何十年も付き合いがあって
じぶんのチカラだけでは変えられない。と言われてしまった。


他の昔からいる職員の方にも探りをいれたが
どうやら使うもの自体を変えるというのは難しそうだ。

 

それならば
あるものでできるだけやってみようとあれこれ工夫をはじめた。

具材の多い汁ものは野菜を重ね煮して野菜の旨味や水分を出してみたり
甘さがほしい料理のときは玉ねぎをじっくり炒め煮や水煮して砂糖や添加物をつかう量を減らした。


それでも、他の調理員の人は
気にせず調理していてそれを子どもたちも美味しい!
と言っていたので意味があったのか、
わたしのただの気休めでしかなかったのかもしれないけれど
じぶんなりにできることをやっていった。

 

このとき、中高校生の子どもたちに
おむすびを毎日のように結んでいたが
食べ盛りの男の子たちだし!と
張り切って特大のおむすびを結んでいたが
さすがに大き過ぎて食べられない。とクレームがきた。笑

 

あのときのでっかなおむすびの感覚もけっこう好きだ。


このとき、パートできていた
おばちゃんに塩を手につけるにでなく混ぜ込むといい。
と教えてもらい、確かに全体に馴染んでいい。というところから
わたしはごはんに塩を混ぜ込むスタイルを続けている。

 

そんな風に限られた枠のなかで
できる限りのことはしていたが
すぐに、もっと自由にじぶんの作りたいごはんを表現したい。
と思うようになった。

 

仙台市内でなにかいいところはないか調べていると
シェアカフェという、キッチン付きのレンタルスペースを見つけた。

ここだ!と思い
当時、やってみたいと思っていた
**おむすびカフェ**の構想をもって早速連絡をもって出掛けた。


有難いことに、ただ貸すだけというより
わたしの想いや現状をいろいろと聞いてくれて
当時、学生時代に過ごした友達しかいなかったわたしに
集客もすぐには難しいだろうから、すでに常連となってそこを借りて
週替わりシェフみたいにいろんな人にごはんを作ってもらってる人がいるから
その人と繋がったらいいよ。と言ってくれた。


そうして、トントン拍子に話は進み
もう忘れてしまったけれど
毎月第何曜日かにわたしのごはんを作らせてもらえることとなった。



それと同時に
学生時代の友達だけじゃあなくて
一緒に夢に向かったり何か素敵なことをできる仲間が欲しいと思いはじめていた。


埼玉に住んでいたときに東京で出逢った
Earth dayやマルシェなどが大好きでそれを仙台でも
Smileartday〜地球みーーんなが笑顔〜として開催したいという
想いが膨らみ、その仲間になってくれる人も集めたいと思っていた。

 

マクロビの料理教室で出逢った人や
気になるお店に出掛けて
繋がりをもち、想いを伝えた。

 

みんな、驚くほどに共感してくれて
自分のスナオな想いを伝えることが怖かったわたしにとって
これは貴重な体験となった。

 

ー想いをもって伝えれば、共感してくれる人が現れるんだ。

 



妹に誕生日にもらった本を書いた人に会ってみたい。と
思いながらタイミングがなかった数年後のある日。

 

その本を描いた
てんつくマンが仙台で講演することを知り
これは行かねば。と主催する方のブログを見ていると
ボランティアスタッフを募集していた。


なんだか、熱くて素敵そうな人だし
みんなでひとつのイベントを創り上げるのは楽しそうだし
きっと、無料で講演も聞けちゃうだろうから、やってみよう。

 

ただ、すでにイベント当日は仕事が入っていた。


有休をつかっていい仕組みになっていたが、1年目だし
急だしどうなんだろう。。ーとドキドキしながら伝えるも
あっさりokをもらい、案外じぶんが思っているより
ほんとうはもっと自由で、じぶんの想いを伝えていいのだと思わせてもらった。

 


じぶんの想いを少しずつすこしずつ伝え
小さな一歩を踏み出したトキだった。

 


てんつくマンの講演会では
書き下ろしをしてもらえる時間もあって
そのときに書いてもらった言葉が衝撃的だった。

 

〜麻美は人に届けている愛、優しさをじぶんに向けてあげている?
大切な人を愛するように、じぶんじしんへも愛を〜


じぶんに愛を?
他人に対して愛をごはんにのせて届けること
優しさをもって接することはいつも考えていたけれど
じぶんに対してそれをする。という発想がわたしの中にはなかった。

 


涙が溢れてとまらなかった。

奥底でわたしがそれを求めていることが分かったけれど
それをどうしたらいいのか分からなくて
また、いつものじぶんに戻っていった。



そのトキに出逢ったメンバーは
素敵な人が多くて、そこから仙台での繋がりが広がりはじめた。


みんな、Smilearthdayにも共感してくれて
特にひとりの歳上の女性とは密に一緒に活動をはじめた。

 

その中に、この人素敵だな〜。と思う男の子がいて
数ヶ月後、付き合うこととなった。


彼は国際支援をする団体をつくって
国際パーティーなどを開いて精力的に活動をしていて
以前からそのイベントが気になっていたがタイミングを逃していた
わたしは、彼と付き合いはじめた直後にあった大きなイベント
クリスマスパーティーへ出掛けることにした。

 

そこで、現在のパートナー とみひでと出逢うことになる。


たくさんの人がいる場で、なんとなく
この人素敵だな。繋がりそうだな。と直感的に感じる人がいるのだけど、
そのトキの会でとみひではそうゆう存在で
会が終わりそうな頃、こちらに向かって歩いてきた。


**やっぱり**と思いながら話してみると、気が合いそうで素敵。

付き合いはじめた彼がいたにも関わらず、
不覚にも正直、*いいな*と思ってしまったのである。

 

連絡先を交換し数日後、お茶のお誘いがやってきた。

 

(後々知るのだけど、
このクリスマスパーティーでたくさんの人と
連絡先を交換したにも関わらず、メモリーがいっぱいで
交換した人のうちわたしの連絡先しか入っていなかったらしい。)


この人、わたしに気があるのかな?という期待ももちつつ
実は全くそうではなかったのだが。笑
付き合っていた彼に男の人と二人きりで会うのは嫌だ。
と言われていたにも関わらず
、男女関係なくフラットな関係を築きたいと思っていたわたしは出掛けてしまった。

 

とみひでとの時間は
初めて会った時に感じた**いいな**という想いをますます高めてしまった。
同じ想いや世界一周をしたいという共通の夢もある。

 

だけど、付き合っている彼もいるし。とその気持ちに気づかないフリをした。


彼が嬉しそうに話していた尊敬している。という人が
とみひでだったと後になって気づいて
それなら尚更、黙ってもいられない。と2人で会ったことを話すと、
彼はショックを受けたようでそれから一気に関係は冷め、
それから一ヶ月も経たないうちにあっという間に別れることとなった。


そのキッカケとなった
とみひでともケジメとして縁を切ろうと決め
誘いがきても断っていたら段々と連絡も少なくなり、自然と途絶えた。

 

そうこうしているうちに
多くの人の人生が大きく変わった、
わたしじしんの生き方も大きく動いた2011年3月11日が近づいていた。