物語〜序章その2〜
中学生になって、学校は相変わらず嫌いだったけれど
陸上部に入って毎日練習に明け暮れた。
中学高校時代は走る為に学校に行っていたと言っても過言ではないくらい
部活をしに学校に我慢して行っているようなものだった。
走るのは短距離も長距離もどちらも得意だったけれど
短距離をすることにした。
入ってそうそう
ただひたすらに何も考えずに走っただけだったけれど
仙台市の大会で優勝し県の大会でも4番になり東北大会まで進んだ。
けれど、一年生の夏は幼稚園を卒業してから
幼稚園がやっている英語を学ぶ習い事をしていて
(なのに英語は今話せない。。)
その集大成にアメリカに研修旅行という名のキャンプとホームステイにいくという大きなイベントがあった。
そもそも、幼稚園を卒業してから
6年間通わせてもらったわけだけど
こちらも学校と同様決して楽しくていっていたのではない。
おそらく、高い月謝を払っていてくれた両親には申し訳ないが
辞めたい。の一言が言えないがためににずっと我慢しながら通っていた。
だから、妹が一年やそこらで辞めたときは
根性ないなあ。と笑っていたけれど内心はものすごくうらやましかった。
嫌なものを嫌だ。という勇気がわたしにはなかったのだ。
そうして、アメリカ旅行も案の定行きたくなんて
少しもなかったけれど、6年間通ったら行くのが普通だったし
本当は陸上の東北大会に出たかったけれど、
出発数週間前にやっぱ辞める。と空気を読めないフリもできなかったので
行きたくもない研修旅行に多額のお金を払ってもらい出掛けたのであった。
…結果はみなさん、お察しの通り。。
ふふ♡
逆に好きなものを好き。とスナオに言えなかったエピソードもある。
小学6年生のときから好きな男の子がいてずっと想い続けていた。
こんなんだったのに告白しようとしたことも何度かあって
だけどできるはずもなく、ましてまともに話せない…。
そんな風に約2年間想い続けたある日、
その子の友達を通してわたしの元になんとラブレターがやってきたのである。
ぎゃーーーーー⁈!⁈⁈
わたしの恋をずっと応援してくれていた友達と大興奮。
実は、少し前にもう諦めようとその気持ちに蓋をしようとしていた。
どうするの?!
友達に聞かれて迷うわたし。
実はわたしが好きだった彼はけっこうに人気があって
学年でいちばん可愛いとわたしが思っていた女の子が彼を好きだという噂も聞いていた。
その子に目の敵にされたら。とか付き合っても何話したらいいんだろう。とか
一緒に帰ったりして誰かに見られたらどうしたらいいんだろう。なんて延々考えて
じぶんの想いなんか丸無視で周りの目が気にすぎて、じぶんに自信がなさすぎて怖くて断った。
なんて情けない。。
でも、当時のわたしにはそんな風にしか生きられなかった。
そんな中学生時代は陸上に出逢って本当に救われた。
目標を立てて練習に励めば、その努力は報われたし
3年生のときには100m、200mで全国大会出場した。
陸上に注いでいたあのたくさんのエネルギーがどこにも
発散できずにやり場がなかったと思ったらゾッとする。
走るときの風を切る感触が好きで
調子のいいときの試合でトラックを掛けた感覚は今でも忘れられない。
個人競技も好きだったけれど
実は、リレーや個人競技の順位に点数をつけて学校毎に競う"総合"も好きだった。
3年生の市の大会で男女での総合優勝を目指していたのだが、
人数の少ない私たちの学校は、みんながどれだけいい成績を出しても
マンモス校にどうやっても敵わず涙を飲んだ。
個人、リレーともに優勝していて
両親や担任の先生におめでとうと言われたが
全然、嬉しくなかった。
悔しくてくやしくて泣いた。
みんなで一緒に優勝したい。
そんな想いが叶って、県大会は優勝する
わたしは全国大会出場を決めるもみんなで行きたかった
リレーはいけなくって悲しすぎた。
人との繋がりが苦手だったわたしだけれど
陸上部の仲間とは共に、個人競技だったのでそれぞれに、目標に向かって
意外とじぶんだけより**みんな**で何かを目指す達成することへの憧れが強かった。
*
そうしてるうちに
高校はスポーツ推薦で陸上をするために学校に行き
スポーツ科だったので勉強はそこそこにお昼が終わると練習の日々だった。
スポーツ科は男子がほとんどで、
好きな人がいたこともあったわたしだけど
男子という生き物全般が実は怖かった。
でも、周りは男だらけ。こわい。。
そんなじぶんを変えたくって、まずは挨拶からしてみることにした。
下駄箱で会ったクラスメイトに''おはよう'を言う。笑
そんな簡単なこともできなかった。
もうそれだけで
ドキドキして仕方がなくて
高校生になると先輩は一気に大人な感じだし
最初の頃は気がきじゃあなかった。
陸上部の笑顔が素敵で優しい先輩に
「吉川(わたしの旧姓:きっかわ)は笑うとミッキーマウスみたいだね」
と言われ(口元が)喜んでいいのかなんなのかよく分からなかったけれど
わたしは嬉しくって、そうして少しずつわたしからしたら
男子とも先輩とも話せるようになっていった。(あくまでも、わたしからしたら。がポイント笑)
とにかく毎日走る日々で
走ること本当にすきなのかな?と思ってしまうときも
多々あったけれど中学生のときに達成できなかった
全国大会で入賞するという目標に向けて頑張っていた。
高校2年生の冬には
初めての彼氏ができて
ひとつ歳下だった彼に毎日大きいおむすびを結んでいた。
これを書きながら
今でもそのおむすびを結んでいたときの感覚を思い出す。
このときから色んな場面でおむすびを結んだけれど
あのとき、あの人に結んでいたおむすびの大きさやその感覚って
ひとつひとつ違くって案外覚えているものなのだなあ。とすこし驚いている。
*
わたしが食に興味をもったのは
小さな頃から食べるのが大好きで
休みの日にお菓子作りをするのが好きだったけれど
そこから更に食に取り組むようになったのは中学生のとき。
陸上部の顧問の先生に
走るだけではなく、食べるものも大切なんだ。と教えてもらい、
最初はほんとうに簡単に1日に何杯ごはんを食べればいい。肉魚料理を食べればいい。というチェックからはじまった。
朝練があり、朝早いわたしだったが
母が朝起きるのが少し遅かったため
じぶんの朝食をつくりはじめた。
段々と、栄養学の勉強をしていくうちに
ハマると極端になるわたしは野菜の重さなども計って食べるようになった。
1日これくらいの量を食べるために、朝の野菜は、昼の野菜は◯◯g…
高校生になると、女子は体重が増えやすいから気をつけるようにと言われ
甘いものは我慢して食事も野菜中心にしていた。
そうしているうちに
貧血になったり怪我をしてしまったりして
強くなるための食事ってどんなだろう。
というのが食に興味を持ち始めたわたしの最初のテーマだった。
そんなことも乗り越えて
無事に個人ではインターハイに出場、予選敗退するも
*みんなで*を叶えたかったわたしには嬉しい
リレーにて入賞を果たした。
3年生でももう少し競技生活は続くけれど
進路を考えなければいけない。
陸上を続けるなら一流のところでやりたい。
当時、女子の陸上部が盛んだった大学の名前を言うも
あそこは頭がないと入れない。と監督に鼻で笑われた。
両親は陸上をするなら東京に出してもいいと思っていたようで
東京の大学で推薦でいけるようなところへ行って
社会勉強しながら陸上をそこそこにやってもいいんじゃないか。と提案してくれた。
中途半端が嫌いなわたしはやるならトコトン!
中途半端にやるなら辞めた方がいい。と
このまま陸上を続けるのは簡単だけど、じぶんの中で
当時難しいと感じていた*辞める*ということを選択することにした。
そうして、
進路の話が学校でされ始めたときに配られた
職種の中にあった調理師がなんだかかっこよく感じたことと
甘いものを我慢していた当時、でもケーキやパンが好きで
ケーキ屋さんやパン屋さんやカフェの情報を切り取っては貼ったノートをつくっていて憧れもあって
カフェなんてそーんなに行ったことがなかったけれど、
いつかスマイルマークのまんまるな看板をつけたカフェをつくろう。と
専門学校にお菓子づくりを学びにいくことにした。
ほんとうは、
当時大好きだった高橋歩さんの影響で世界一周にいきたかったけれど
そんなことを口にする勇気もなくいつか、というか若いうちに20代前半には
お金を貯めて旅経とう。と心にしまい、次にやってみたいことを選んでみることにした。
*
この頃、何か迷うと本屋さんへ出掛けていたわたし。
当時、テレビでオーラの泉に出演していた江原さんの本を見つけた。
最初のページに書いてある言葉にハッとした。
**あなたがこの本を手に取ったのは偶然ではありません。**
…なぜかえらく納得した。
うんうん、そうだよね。この懐かしいような安心感。
江原さんの本に書いてある言葉はすべてじぶんのなかに
スーーっと入ってきて
中でもわたしが大きく心惹かれたのはひとりひとり**天職*があるということ。
じぶんの魂を精一杯活かして人の役に立って生きていきたい。
そう、想ってじぶんんを知ることに貪欲になり
スピリチュアルな本や高校を卒業してからはセミナーはスピリチュアルな勉強会に参加し、じぶんの天命、天職を見つけたいといつも願っていた。
*
*
*
ちなみに、
毎日おむすびを結び続けてあげた彼とは
もうすぐ付き合って1年。というときに別れた。
同じ陸上部だったのだが、
陸上に対する不安や不満が多くて、んもう、、弱々しい!と思ってしまったのだ。
そんな話ばかりでわたしという存在はいったい何なんだろうと。
好きでやってるんだから文句言うな。
とまではさすがに当時言えなかったけれど
不安や不満があっても口にできなかったわたし。
じぶんの弱さを誰にもさらけ出すことができずにいた
じぶんができずにいたことを堂々としていた彼が許せなかったのだ。
ほんとうは、彼が許せなかったのではなく、
弱音を吐くこと、弱いじぶんを
じぶんじしんが認めてあげれなかっただけなのだけれど。
彼と別れた直後、すぐにクラスメイトの男の子と付き合いはじめた。
東京の大学に進学する予定だった彼とはすぐに遠距離恋愛になり
わたしとしては彼が大学卒業したら結婚したい。と思っていたのだが
専門学校に入学して1ヶ月も経たないうちに電話で別れを告げられ
あっさり終わった。
と言ってもわたしの方はまったくあっさりではなくって
途中好きな人もできたりしたが、彼に会うと一気に気持ちを引き戻され
約5年間、引きずった。
そんな風に、正直勉強どころなんかじゃあない
大失恋と共に新しい生活がスタートした、2005年春。